FC2ブログ
2015. 10. 13  
さて、今日訪問するお寺は紫金山慈眼寺(愛知県春日井市)。

IMG_2696.jpg
市史によれば、宝永6年(1709年)この地に開かれた由緒あるお寺。
上の写真の一番右側、よく目をこらすと現れるのは、

DSCN3314.jpg
小高く盛られた築山の上に2mほどのカラフルな弘法様。

DSCN3319.jpg
『コンクリート魂』にも紹介されている作者不詳のコンクリ弘法様であるが、その存在はネット上でもほとんど知られていない。

DSCN3442.jpg
目玉は玉眼と思われる。

DSCN3480.jpg
住職の許可を得て足元も激写。

DSCN3463.jpg
後ろ姿はこちら。

目を凝らして見たが、残念ながらどこにも作者の名前も寄贈者の名前も見つけることはできなかった。

DSCN3468.jpg
築山には「山神」や大正時代に作られた小さい弘法様の石像などが隠しアイテムのように配置されている。

DSCN3324.jpg
隣の祠には二体の弘法様が祀られている。

住職にもお話を伺ったが、住職も生まれるずっと前の話、先代から聞いただけのことなので詳しいことはわからないが、大正の終わりから昭和初め頃に築山が作られ、そして弘法様が作られたと聞いているという。
そして・・・寄贈したのはお寺と付き合いのあった「山口某氏」であるという・・・!

住職から得られた情報は以上。そして帰り際に、お寺の入り口に立っている石柱を発見した。
DSCN3306.jpg
非常に見にくくなっているが、目をこらすと2本の石柱のうち1本にこのようにあった。
尾洲三大弘法第二番黄檗慈眼寺』そして

J-1.jpg
『昭和八年五月』とある。

尾洲三大弘法?そして第二番?

これに関してもいつものことながらネットに情報はほぼゼロ。(以前は、「愛知札所巡り」なる、弘法霊場を異常に網羅したサイトが存在し、文字だけの記載はあったのだが、休止中だろうか?)

尾洲三大弘法って、いったいなんだ??しかも第二番?一番と三番は??


思い起こされるのは尾張三大弘法。
尾張三大弘法は以前に紹介した通り、瀬戸電気鉄道が関係していると思われる三つの大弘法。
ご存知の通り第一番 御花弘法大師(名古屋市守山区)、第二番 良福寺開運大師(尾張旭市)、そして浅野祥雲作が確定している第三番 退養寺厄除大師(尾張旭市)の3体である。

しかし尾洲三大弘法って?

DSCN3465.jpg
ここにきてなお謎が謎を呼ぶ、山口氏と春日井のコンクリ像群の関係。
核心に迫る日は来るのだろうか。
スポンサーサイト



2015. 05. 28  
それは突然現れる。

DSCN3530.jpg
現在建て替え工事が行われるJR中央線春日井駅から徒歩1分の住宅地。

DSCN1172.jpg
春日井駅前大弘法(春日井市中央通)。突然のアウターゾーン感がたまらない。それでいて道行く人々は特に気に留めもせず歩いているこのギャップ。

DSCN1185.jpg
こちらの大弘法は、尾張旭の厄除大師と瓜二つであることから「祥雲作」とまことしやかに言われるが、その銘はどこにもない。
この弘法、春日井駅(当時は鳥居松駅)ができた後に、駅を請願したうちの一人、林長三郎氏が建立したものと言われている。過去には解体の危機を乗り越え、修復作業が行われたとのこと。

DSCN3512.jpg
左手には不動明王。

DSCN1174.jpg
右手には仏様(お釈迦様?)。

DSCN3498.jpg
戦争と中央線の工事殉職者の為の記念碑も。

DSCN3493.jpg
ところでこの後ろ姿、勝川大弘法の不動明王(雲岳作)に似てる。

DSCN3369.jpg
勝川大弘法の不動明王。

DSCN3505.jpg
林長三郎氏の建てた灯籠も。

DSCN3487.jpg
いつも思うのだけれど、昭和7年の時点でこんな10m級のものを建立したらおったまげたんじゃないかと思う。

kasugaist1946.png
昭和21年時点の春日井駅周辺の様子(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスより)

kasugaist1946 のコピー
おそらく赤丸のあたりが弘法様の場所。
昭和21年時点でこの発展具合、駅ができたばかりの昭和7年ではもっと建物が少なかったと思われる。

現在の同じ場所を見ていただくとよくわかると思う。
現在は高い建物が増えてしまっているが、当時は駅からもよく見え、観光客の増加を狙ったという説もあるし、駅の南側にあった林氏の自宅からもよく見えたようである。

この大弘法、現在でも一見の価値はあると思うのだが、やはり悲しいかな地元での知名度は低いようである。

さてここまで大弘法シリーズ、尾張旭・厄除大師、印旛・開運大師、小幡・御花弘法、勝川・大弘法、春日井駅前大師と5体の大弘法を見てきた。が、これらはネット上でも既に知られた存在である。

次回以降はもっとマニアックな知られざる弘法と、大弘法ベルトの全貌に迫っていきたいと思っている。
本ブログは現在のところ新たな祥雲像の発見と、「雲岳」なる仏師の秘密に迫ることを目的としている。

筆のペースは相変わらずの遅さであろうが、お付き合いいただければ幸いである。
2015. 05. 13  
新たな大弘法へ向かう。大弘法界の勝ち組、勝川大弘法(春日井市)へ。

DSCN1105.jpg
勝川駅を下車し、商店街へ。商店街には大弘法(おおこうぼう)通りの名を冠する厚遇。

DSCN3348.jpg
商店街を北に進むとこのような案内が。

DSCN3440.jpg
見えてきた大弘法。

DSCN3353.jpg
勝満山 崇彦寺。
なんでもこのお寺、電器店を営んでいたおじさんが平成11年にはじめたお寺なのだそう。

DSCN1123.jpg

こちらの大弘法は他の弘法さまに比べても有名だし、当ブログで取り上げる必要もないほど知られた存在であり、ネット上に情報があるかのように見える。
しかし、昭和三年に山口悦太郎氏が私財を使って建てた、という情報はすぐにわかるのだが、作者は誰か、山口氏は何者か、なぜ建てたのかのその経緯など、深い情報になると意外と知られていない。

DSCN3371.jpg
背中をよく見るとカゴの下に謎の扉が。コックピットの入口か。

DSCN1120.jpg
杖の先まで18mあると言われる大弘法。下から見ると迫力がある。

DSCN1108.jpg
隣にはアレを思わせる不動明王+二童子。

DSCN3369.jpg DSCN3368.jpg
不動明王の裏には「御大典紀念」と「雲岳作」の文字がはっきりと。

DSCN3380.jpg
その隣には白衣観音さま。

H1.jpg
裏にはコンクリ製香炉。

DSCN3357.jpg
台座の中にはコンクリ製弘法坐像が。

DSCN3405.jpg
大弘法の横にあるコンクリプレート。
「御大典紀念 昭和三年 建立 山口悦太郎 雲岳作」の文字。

余談であるが、この「雲岳」については全くその存在が知られていない人物のようである。
この辺りはソフトリィXさんによるブログ軟体レポートに詳しい。
ソフトリィXさんも当初は雲岳と祥雲を全く別だと考えていたということだが、とある発見から、何かしら関係があるのではないかという考えに転換している。

実は私も以前からその関係を疑っており、『コンクリート魂』の作者、大竹さんにメールを送ったことがある。それが去年の1月のこと。細かいやり取りは省略するが、実際その後に実際に大竹さんに会う機会があり、そのメールが多少なりとも『コンクリート魂』の内容に影響を及ぼしたとお聞きした。

しかしながら、昭和3年に建設されたこの大弘法が祥雲作だとすれば、最も古い時期に現存するうちで最も大きいものを作ったことになる。これはいささか不自然な話であるとも思えるのだ。
これは一体どういうことだろうか。

つづく
2015. 04. 17  
つづいて尾張三大弘法第一番、御花弘法(名古屋市守山区)。

結果的に第三番から逆に紹介する形になってしまったが、車で廻るなら一から順番がきっとよいのでしょう。せっかくだし。
小幡緑地と一言で言っても、結構広い。訪れる人の少ない緑地の最果てにいらっしゃるので注意が必要だ。車で行くときは、隣接したゴルフ場の入口を目印に行くとよいでしょう。

それは突然現れる。

IMG_1064_2.jpg
尾張三大弘法第一番御花弘法(作者不詳)。大弘法の名に恥じぬデカさ。

筆者の知る限り、現地には尾張三大弘法第一番を確定するものは特にない。
第三番、第二番は地元やお寺の管理も行き届いていて結構気軽に楽しめるのだけれど、ここはなんだか雰囲気がある。緑地の中に突然現れるアウターゾーンという趣きすらある。コンクリートの劣化も激しい。

IMG_1063.jpg
周りにはこのようなミニ弘法が至る所に存在し、ここだけでミニ八十八カ所巡りができるようになっていたようだ。ほんとにたくさんの弘法さま。そしてなぜかいくつかのクーラーボックスが点々としていて不気味な雰囲気も・・・。

昔は名刹・龍泉寺の管理下にあったようだが詳しいことは不明。2005年の写真と比較して右眉がセメントで申し訳程度に修復されていることから見ても、完全に放置プレイというわけではなさそう。
滞在中の10分ほどの間にも何人かの方がお参りをされていた。

IMG_1066.jpg
それでも右の邪鬼は崩壊の危機。

IMG_1068.jpg
左の邪鬼は行方不明。

IMG_1074_2.jpg
弘法内部は落書きだらけ。昭和の早い時期から若者の肝試しなんかに利用されてきたのだろうか、たくさんの名前が掘ってある。作者の名前じゃないかと目を凝らしてみたが、どれも違いそう。

IMG_1082.jpg



IMG_1084_2.jpg

邪鬼の台座などにあるこれら寄贈者の名をググってみると、どうやら当時の名古屋の名士の方々らしい。

しかし謎は多い。
なぜ「御花弘法」という名前なのか。
瀬戸電の観光が目的だとしたらなぜ駅からやたら遠い場所にあるのか。
なぜだれも管理していないのか、所有権はどうなっているのか。

いろいろ調べはじめてわかるのだが、この時代、戦前の昭和のことってほんとに答えにたどり着けないことが多い。少なくともネットには詳しい情報は載っていないし、おそらく作った当事者の世代も、おそらくその下の世代も当時のことを語れる人がいなくなっているのではないか。そして「歴史」というには時間が浅すぎる、エアポケットのような時期なのだ(そこがおもしろいところでもあるのだが)。
そしてこれらの大弘法、現在のまちおこしや観光の考え方からすると宗教色が強いため、タブー視されることもある。だからなんだかよくわからない不気味なものになってしまっているのだ。
戦争を挟んで昭和の時代を経て価値観が転換してしまい、集客力を失ったけれど、巨大なコンクリートだし、宗教的なものだからなんか残っちゃった見たいなノリが感じられる。

現在の大弘法たちの置かれた状況に関して言えることは、地元の人の中では「昭和になってからコンクリートでできたもの=由緒正しくないもの=ニセモノ」みたいな印象なのだ。

これは浅野祥雲の他のコンクリ像にも共通することなのだが、完成した当初って発案者もけっこうがんばって、それなりのお金も人材も投じられて作られたはずなのだ。そのエネルギーは実際に目にすると感じることができるし、今もその魅力を失ってはいないように私は思うのだが。

この大弘法ベルトシリーズはまだ続きます。
2014. 12. 15  
春日井駅前弘法
プロフィール

つるま

Author:つるま
コンクリ像、歴史、廃線、民間信仰、などなど

写真の撮影や記事の内容には極力留意しておりますが、ご都合悪い場合はお知らせください。

メール bluegrassnagoya@hotmail.co.jp

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR