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2015. 01. 28  
コンクリ魂で祥雲作?とされる3体の像を見に行った。

まずは龍泉寺(名古屋市守山区)。
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左が水野房次郎氏寿像、右が篠田銀次郎氏之寿像。

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水野氏(昭和16年)。

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篠田氏(昭和37年)

どちらも畜産関係の方らしいが、組合も消滅しているらしく、よくわからない。
台座は後から合わせたのか?祥雲特有のもじゃもじゃ台座ではありません。

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昭和三十七年七月に逝去サルとあるが、寿像って生きてる間に作るものじゃなかったか?製作中だったのだろうか。

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水野氏の足下の台座は別のコンクリのうえに乗っているようにも見える。


そして次はちょいと足を伸ばして、北名古屋市の用水路に佇むコチラ。
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大野晃翁寿像。昭和17年の作品。みごとな土台に乗っているが、あまり管理が行き届いていないようです。
なんといっても住宅密集地に突然現れるこの像。写真がブレているのは、住宅街に何度もシャッター音を響かせるのがいたたまれなかったからです。
フェンスには「不審者に注意」的なことが書いてあったし。

ともあれ、この3体、時代的にも作風的にも祥雲を感じさせる3体でありました。
こういったローカル偉人系の需要、当時は多かったのでしょうかね。
自分で建てたわけではなく、形上は偉業を讃えてって感じになっています。

こういう像って実はまだまだあるのかも・・・ということでネット巡回。
そこで見つけました。北名古屋に新たなローカル偉人像。

それがコチラ
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2015. 01. 26  
前回の記事『浅野祥雲の謎を追え』の中で、恵那市観光協会に送っていただいた資料は『恵那市史』。
そこには以下のような記述がある。

以下原文ママ
******************
仏像の建立
昭和六年恵那峡周辺にコンクリート製仏像五体が次の位置に建立された。
○弁才天・・・恵那峡弁天島
○白衣観音・・・恵那峡駐車場上
○弘法大師(立像)・・・傘岩入口
○弘法大師・・・奉行橋北道路沿い
○不動明王・・・奉行橋南の丘の上
いずれも像高二〜三メートルの大型仏であるが彫も深く繊細な作りである。作者の福崎日精は当時修業僧で各地を廻り仏像の造立をしていた(後滋賀県醒井町地蔵院の僧となった。また妻木の神馬及び昭和四〇年多治見市戦没者慰霊塔の観音像を造立した)。
******************

・・・つまりこの記事を完全に信用するならば、作者は福崎日精ということになるのだが・・・。

恵那峡駐車場上の白衣観音
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たしかに「福崎日精」の文字が。

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こちらが白衣観音さま

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お顔立ちは結構リアル

コチラは今でも観光名所の『傘岩』。
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これはこれですげー。

そしてその手前には苔むした立弘法様が。
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白衣観音と同じお顔立ち。

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看板の説明にも福崎日精作の文字が。

他の像も求めて奉行橋へ行ってみるも・・・。
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奉行橋

今回の短時間の調査では見つからなかったため、残された像については今後の課題としたい。
ともかく、恵那市史に記述のある「五体の大きなコンクリ像」のうち3体の特徴を比較してみたが、弁財天と他2体は人相や衣服の造形などが異なる気がする。よって、あえて前回の記事では弁財天を福崎作とは断定せず、雲岳作弁財天との比較を試みたが、いかがだろうか。

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奉行橋のふもとの看板。

昭和3年から昭和7年にかけて、現在の恵那駅から大井ダムまで北恵那鉄道が走っていたという。
観光目的の汽車と観光目的のコンクリ像の造立年がピッタリ一致するのはおそらく偶然ではあるまい。
2015. 01. 23  
そこで、恵那市観光協会に電話で尋ねてみたところ、たいへん好意的にご回答いただき、建立の詳細はわからないが、建立のいきさつが載っているという資料をFAXいただいた。そして詳しく事情を知っているかも、という方もご紹介いただき、お話をうかがうことができた。本当にありがとうございます。

いただいた資料には確かに昭和6年、恵那峡周辺にコンクリート製仏像が建てられたことが書かれていた。
(実はそこには非常に衝撃的なことが書かれていたのだが、謎が深まるばかりなので、ぜひまた後日あらためて記事で紹介したいと思う。)

とりあえず、この資料と聞き取りから恵那峡弁財天についてわかったことをまとめてみたい。
・大井ダムの中心に昭和6年に観光目的で作られたものであること。
・色を塗り直したことがあること。
・昔(昭和30年代ごろ?)は島に渡る橋は架かっておらず、船で弁財天まで行っていたこと。
・持っている楽器か何かが折れて直したことがあること。

確かに琵琶は4絃が一般的で、祥雲作の弁天像の楽器についている糸巻が4本ずつなのに対して、恵那峡弁天像は2本しか付いていないし、楽器の先(ヘッド)の形も若干のっぺりしているように感じる。
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何はともあれ、祥雲の実家のあった場所ともほど近い場所であるこの大井ダムの、それもど真ん中の観光施設にある像が祥雲の作風と酷似している、このことが意味することは一体なんなのだろうか。
初期の祥雲を研究する上で一つの材料になるように私には思える。
2015. 01. 23  
ほかのコンクリ弁財天と比較してみよう。

大竹さんの著書『コンクリ魂』の中で、既に筆者が訪れたことがある弁財天をモチーフとした場所は2箇所。

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五色園縁結び弁財天【修復前】(日進市)

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観音寺弁財天(春日井市)

ここでは細かい説明を省略するが、後者は『雲岳』銘の弁財天である(昭和6年建立とされている)。
両方とも龍、楽器、もじゃもじゃ台座がそれぞれ共通しているように見える。
特によく似ているように見える後者、観音寺弁財天と詳細を比較してみる。

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正面

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IMG_1284 のコピー IMG_1709.jpg


どうだろうか。楽器の向きや髪型、そして全体の大きさ(恵那峡の方が大きい)など、多少の違いは見られるが、筆者には少なくとも同一の作者または作風によるものとしか思えないのだが。
特に酷似するのは
・首飾りの形状
・龍の構図
・着物の前掛け(?)の形状

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後ろ姿、そして特筆すべきは龍の腕から出ている炎?の造形。
恵那峡のものは着色されておらず写真ではわかりにくいが、そっくりである。

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しかも観音寺の弁財天、よく見ると背中がのっぺりして、丸い痕跡があるようにも見える。もともと輪っかか何か乗っていた??

果たして別の作者でここまで酷似することがあるのだろうか?

⑤へつづく
2015. 01. 23  
というわけで恵那峡。

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桃介の銅像、そして貞奴のレリーフ。
これらは昭和後半になってからあらためて建立されたものであり、存在は結構知られている。
その同じ公園の中に、弁天像があるという。

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こんな橋を渡ると

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このような看板があり

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美しい弁財天様がいらっしゃいます。
風光明媚なダムに浮かぶ小島で、背後には恵那峡ワンダーランドが見える。

そしてこの像、結構大きい。最下段の台座も合わせると全長3メートル程度はある。
像の詳細を見てみることにする。
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全体

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お顔

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左右

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後ろ

どうだろうか。

・もじゃもじゃなコンクリ台座
・弁財天の下の龍の構図
・手に持った琵琶

以上の3点が祥雲作品に通じるものがある気がするのだが。いかがだろうか。

④へつづく
2015. 01. 23  
貞奴と祥雲が繋がっていた・・・、しかも昭和初期に。
川上貞奴と言えば、「電力王」福澤桃介の愛人として名古屋に暮らしたこともある。
福澤桃介と言えば日本ではじめて木曽川に電力ダムを建設し、電力王と呼ばれた人物。
桃介はほかにも多数の事業に買収の形で参加し、名古屋産業界の礎を築いた。と、今日ではこう評価されている。

そんな当時のスーパーセレブ達ともつながりがあったのか?
ということは当時完成したダム周辺の観光施設にも像があるのかも・・・?

と思ってネットで情報収集。でも調べた限り、ネット上には桃介と祥雲のつながりは少なくとも見つけることはできなかった(2014年12月現在)
しかし、昭和後期に建てられた桃介の銅像は恵那峡にあるのだという。貞奴のレリーフもすぐそばに。
そのような記事を追っていく中で、ひとつの像を見つけた。
その名も恵那峡弁財天

ネット上では作者にまで触れられていなかったが、この弁天像、何か気になる。
早速現地に行ってみた。

③へつづく
2015. 01. 23  
5年ほど前に「昭和のコンクリ仏師・浅野祥雲」のことを知り、自分でもいくつかの作品を現地に見に行った。
そしてこのたび、「コンクリ魂」が発刊された。
この「コンクリ魂」を読んでからというもの、ずっとなんだか違和感が拭えなかった。その違和感の正体は自分でも分からなかったのだが。

大竹さんは著書「コンクリ魂」で祥雲の今のところの全貌を明らかにしようと試みた。
そこにはこれまで知られていなかった像も含めて、758体のコンクリ像が収められている。
本書を読んでみて、私が意外だと思ったことを、思いつくままにいくつか挙げてみる。

・よく知られた「関ヶ原ウォーランド」や「桃太郎神社」は比較的晩年の作品であること。
・その他にも膨大な数の像を残していること。
・当時の名古屋市長からも発注を受けていること。
・昭和3〜6年に活動した「雲岳」なる人物の存在。
・活動の初期段階で五色園を作っていたこと。
・同時期に貞奴というセレブからの発注があったこと。

なんだかコレってスゴくないか?
大竹氏も著書で書いているが、つまりは「祥雲は『B級スポット』と呼ばれるものではなく、かなり早い段階から社会的に(少なくとも当時は)認められる作品を生み出し続けていた」ということになる。
いや、しかしちょっと認められすぎているんじゃないだろうか。
それが私の違和感の正体かもしれない。祥雲は社会的に認められ過ぎている。

これまで何となく祥雲ファンが持ってたイメージって「物好きが高じてへんな像いっぱい作っちゃった人」的なものであったはずだ。特にウォーランドから祥雲に触れた人は特にそうかもしれない。
しかし全体を俯瞰してみると、これを180度覆すような発見、価値観の転換の連続である。

特に、川上貞奴が昭和8年時点で認知し、発注していた(あくまで可能性だが)事実があるということは、社会的に相当評価されていたと言ってもよいのではないだろうか。
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この辺りに未発見のコンクリ像へのカギがあるような気がしてならない。

②へつづく
2015. 01. 22  
コンクリ魂を読んで、ぜひ訪れてみたいと思ったのが桃太郎神社の対岸にある「貞照寺」。

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というわけでやってきました貞照寺。
まずこのお寺、ロケーションが素晴らしい。
山と川に囲まれた急峻な土地に佇む姿が美しい。

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日本初の女優、川上貞奴が創建したとあって、芸能のご利益があるそう。
拝観者の方々も蒼々たる面々。

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芸能界にいたころの松竹からも寄進を受けている。

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そしてこれが智水観音。

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祥雲作品にしては小振りだが、本当に美しい顔をしている。
色は違うがコンクリ魂の白衣観音、特に白衣観音院のそれとほぼ同じ造形であるように見える。
よく見るともとは手の小瓶から水が流れるように細工がしてあったようだ。

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コチラから霊験記が見られるとのことで行ってみる。

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木で細工された貞奴の生涯が表現されている。きっと名のある木工職人が手がけているのでしょう、本当に素晴らしい出来ばえ。

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後ろからの智水観音の画。
霊験記を見てからこの像を見て気がつくのだが、この像は木曽川の上流部にあるダムに水を湛えることを表現して作られているように私には見える(ネット上にはそれらしいことは書いていないのだが)。

こちらの智水観音を「祥雲作」ではないかとネット上ではじめて発表したのはソフトリィXさん。
そのブログ、軟体リポートによれば、創建当初(昭和8年)からある像らしい。
祥雲作だとされる所以は、現在管理している成田山にも同じような色形をした童子像群があることだという。
でもなんで昭和31年の童子像と同じ色なのか?そういえば塗り直したようにも見える。
昭和8年と言えば大弘法乱立の昭和6〜7年が終わった時期。
貞奴は昭和初期の歴史において、かなりの大物だったように思う。祥雲さんは昭和8年時点で42歳。そんな人物に評価を受けていたということか。。
2015. 01. 14  
まずは浅野祥雲と言えばここ!というべきスポットをおさらいしておきたい。

平成5年に大竹敏之氏に「再発見」されて以後、浅野祥雲と言えばココ!というべき3大聖地と言われる場所がある。
大竹氏はもとより、さまざまな媒体メディア、ブログなど、簡単に検索することができるし、比較的簡単に訪れることができるスポットであるので、本ブログにおいては軽く触れる程度としたい。

関ヶ原
関ヶ原ウォーランド

まずは関ヶ原の戦いをコンクリート像で表現した施設、関ヶ原ウォーランド(岐阜県関ヶ原町)。
コンクリ魂でも全207体を全体図で見ることができる。写真も自由に撮ることができ、迫力のある構図の写真を収めるにはもってこいの場所だ。観光地としてスタートしているため、浅野祥雲のコンクリ像に最も多く、簡単に(といっても関ヶ原まででかけなくてはいけないが)触れられる場所となっている。

ただこの施設、祥雲の晩年に一気に作られた作品が多いこと、後世の修復によってオリジナルの雰囲気が失われていることもあり、祥雲の全盛期の精魂込めた雰囲気は味わうことができないように私は感じる。
また大竹氏もよく行っていることだが、この施設によって祥雲=B級という構図が出来上がっているとも言える。

桃太郎
桃太郎神社

こちらは愛知県犬山市にある「桃太郎神社」。
ここでは有名な桃太郎の像をはじめ、鬼や犬、猿、キジ、おじいさんなど、桃太郎に登場するキャラクターが制作されている。B級スポットでは有名な「やさしい鬼」に乗ることもできる。
なお、昨年9月で修復作業が完了しており、きれいになった像が楽しめるスポットである。
突っ込みどころが満載の宝物館も一度は見ておきたいところ。
この桃太郎神社、尾張地方の住人には遠足などで馴染みのある場所であるのだが、「コンクリ魂」を通して浅野祥雲の作品全体を見てみると、意外とココでしか見られないモチーフの作品が多いように感じる。

なお論点はズレるかもしれないが、犬山における「桃太郎伝説」というのも、なんだか取ってつけた感があるように思われる。この辺りはまた後日あらためて本ブログで考察していきたいと思っている。

五色園
五色園

そして愛知県日進市の宗教施設「五色園」。親鸞上人の生涯を、2mほどのコンクリ像で立体曼荼羅さながらに教えてくれるというなんとも素晴らしい場所。
設立当時からは失われたコンクリ像も多くあるというが、今でも残された場面場面は迫力を持って親鸞の教えをわかりやすく示してくれている。
修復作業も進んでおり、名古屋からも比較的アクセスもしやすい場所ではあるが、園内はかなり広い敷地を有しており、徒歩ですべての像を見て回ろうとすると一日仕事になる。そのため、計画的に回ることが求められるだろう。

以上3つのスポットが、いつしか祥雲3大聖地と呼ばれるようになった場所である。
まず訪れるならこの3カ所のいずれかを基本として押さえておきたいところだ。
2015. 01. 03  
このブログにおいて、まず大前提となるのが、書籍『コンクリート魂 浅野祥雲大全』(大竹敏之著・青月社)である。
コンクリート魂 浅野祥雲大全コンクリート魂 浅野祥雲大全
(2014/09/30)
大竹敏之

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この本の発刊により、浅野祥雲という職人(あえて職人という表現をさせていただく)が作製した数多のコンクリ像を網羅的に知ることができるようになった。そして、B級的なもの、ヘタウマ的なものとしてしか見られていなかった彼の作品群が、実はもの凄いエネルギーを背景に作られてきたということが判明するのだ。これはB級スポットファンの我々に本当に衝撃的な出来事だった。

しかしながら、この大全をもってしても、判然としないところも残されている。いや、現在進行形の大全であるが故に、未だすべてが明らかにはなっていないのである。また、その謎が祥雲の魅力の一つであるとも言えるのだ。

本ブログでは、この『コンクリート魂』やその他ネット上の情報を参考にして、実際に現地を訪れ、祥雲の魅力に触れる。そして、残された謎を浮かび上がらせ、史実に基づいて解き明かすことまでを一つの目標としたい。
まだ見ぬ祥雲像に出会えることを願って。
プロフィール

つるま

Author:つるま
コンクリ像、歴史、廃線、民間信仰、などなど

写真の撮影や記事の内容には極力留意しておりますが、ご都合悪い場合はお知らせください。

メール bluegrassnagoya@hotmail.co.jp

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