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2015. 10. 31  
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今日取り上げるのは、すでにこのブログで紹介したJR春日井駅前にひっそりと佇む『春日井駅前弘法大師』(愛知県春日井市)。
林長三郎という人物が昭和2年、国鉄鳥居松駅(のち春日井駅に改称)の誘致に成功。
弘法大師はその後、昭和7年に長三郎が私財で建設したとされている。なお長三郎は明治3年、鳥居松村の有力者の家に生まれた。明治21年には名古屋電燈会社設立の発起人になっており、東京で電気学を研修し、大正9年、村に電灯を引き込んだという。また、村会議員でもあったそうだ。(『春日井の人物』より)

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大弘法前には林長三郎の灯篭も現存している。
この大弘法、尾張旭の退養寺大弘法とソックリであるため、まことしやかに浅野祥雲作といわれるが、証拠はどこにもない。
疑っているわけではないが、銘板や証拠がない以上、祥雲作だと断定すべきでもない。
しかし、なにか証拠はないものか、そう思い再び地元の図書館へ。

そこで重要な文書を発見する。
見つけたのは林長三郎本人の著作『旅乃友』全三巻
その内容は趣味であった旅行と和歌、それに並んで鳥居松駅の開設と大弘法の建設に関しての経緯が記されていた!

そこで見つけた一枚の写真。
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大弘法建設からすぐ後に写されたものと思われるが。
よく見ると写真の右側に『尾洲三大弘法第三番厄除大師』の文字が!!

つまり前回の記事で紹介した尾洲三大弘法第三番はココだった!!!

そして他にも
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尾洲三大弘法第三番厄除大師御和讃
尾洲三大弘法第三番厄除大師の歌!

そしてもう一つ気になる記述が。
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浅野主人之三十餘丈弘法大師大立像作成とある!!
これは新発見ではなかろうか。春日井駅前弘法大師=尾洲三大弘法第三番は浅野氏が作った。
無論、祥雲であるか(もしくは浅野雲岳であるか)は現時点ではわからない。

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とにかく、昭和の初期に作られた「尾洲三大弘法」はいつの間にか製作者の名前と共にその存在は忘れ去られながらも、像はそれぞれが独立して現代にたくましく生き残っているのだ。

そして残された謎は・・・尾洲三大弘法第一番はどこか、ということだ。

(つづく)
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2015. 10. 13  
さて、今日訪問するお寺は紫金山慈眼寺(愛知県春日井市)。

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市史によれば、宝永6年(1709年)この地に開かれた由緒あるお寺。
上の写真の一番右側、よく目をこらすと現れるのは、

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小高く盛られた築山の上に2mほどのカラフルな弘法様。

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『コンクリート魂』にも紹介されている作者不詳のコンクリ弘法様であるが、その存在はネット上でもほとんど知られていない。

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目玉は玉眼と思われる。

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住職の許可を得て足元も激写。

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後ろ姿はこちら。

目を凝らして見たが、残念ながらどこにも作者の名前も寄贈者の名前も見つけることはできなかった。

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築山には「山神」や大正時代に作られた小さい弘法様の石像などが隠しアイテムのように配置されている。

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隣の祠には二体の弘法様が祀られている。

住職にもお話を伺ったが、住職も生まれるずっと前の話、先代から聞いただけのことなので詳しいことはわからないが、大正の終わりから昭和初め頃に築山が作られ、そして弘法様が作られたと聞いているという。
そして・・・寄贈したのはお寺と付き合いのあった「山口某氏」であるという・・・!

住職から得られた情報は以上。そして帰り際に、お寺の入り口に立っている石柱を発見した。
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非常に見にくくなっているが、目をこらすと2本の石柱のうち1本にこのようにあった。
尾洲三大弘法第二番黄檗慈眼寺』そして

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『昭和八年五月』とある。

尾洲三大弘法?そして第二番?

これに関してもいつものことながらネットに情報はほぼゼロ。(以前は、「愛知札所巡り」なる、弘法霊場を異常に網羅したサイトが存在し、文字だけの記載はあったのだが、休止中だろうか?)

尾洲三大弘法って、いったいなんだ??しかも第二番?一番と三番は??


思い起こされるのは尾張三大弘法。
尾張三大弘法は以前に紹介した通り、瀬戸電気鉄道が関係していると思われる三つの大弘法。
ご存知の通り第一番 御花弘法大師(名古屋市守山区)、第二番 良福寺開運大師(尾張旭市)、そして浅野祥雲作が確定している第三番 退養寺厄除大師(尾張旭市)の3体である。

しかし尾洲三大弘法って?

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ここにきてなお謎が謎を呼ぶ、山口氏と春日井のコンクリ像群の関係。
核心に迫る日は来るのだろうか。
2015. 10. 10  
それはなんとなく訪れた寺での出来事だった。

瑞雲山地蔵寺は鎌倉時代に創建され、昭和3年に庄内川沿いから現在の場所(春日井市大和通)に移設された臨済宗のお寺。

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山門の前でふと見ると、右手に2体の像が見えた。
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銅製の観音様と・・・

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弘法様かな?
ああ、やっぱり昔の人は像を建てるのが好きだったんだな。祥雲以外にも着色した像を作る人がいたんだな、という印象。

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なんだか薄っぺらいし、祥雲作品とも人相が違うし、全然祥雲と関係ないかな。。

そう思いながらも一応裏側も見てみようと、隣接の公園から像の裏側へ。

そこで絶句した。
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・・・

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山口悦太郎!!!!
しかも昭和5年とある。

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作者の銘はどこにもないものの、この文字の毛筆体は観音寺小野道風像のそれである。

もう一度像を見てみよう。
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なんだか祥雲作品とは異なる印象を与えているのは目に入った玉眼のせいだと思われた。

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そして像の薄さ・・・薄い像?どこかで見たぞ?
そうだ。
浅野雲岳銘の岩崎御嶽山覚明霊神像薄い。こちらは昭和4年作。そしてどうだろう、年月の筆跡も同一にしか見えないほど似通っている。

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昔は杖を持っていたでああろう右手は崩壊しかけており、あまり状態は良くない。

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左手に載せているのは桃?そして額にはホクロのような白毫。
そうか、これは弘法ではなく地蔵だ。だってここは地蔵寺だから
しかしこれまでの祥雲作品で地蔵のモチーフは見つかってないのではないか?しかも昭和5年の作品も。

お寺の方にもお話を伺ったが、信者が寄進したということ以外はほとんどわからず。
ただ、葬儀関係の仕事をしていた山口家とは長い付き合いがあったそうである。

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たしかに勝川大弘法から距離的にかなり近いし、見つかっても全然不思議ではないのだが、何の因果かこんなタイミングで見つけてしまったことに驚きを隠せない。
この「浅野雲岳」銘の像に似た類例の発見は果たして祥雲のキャリアを埋める発見となるのであろうか。
2015. 10. 09  
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ここに『瀬戸電鐡沿線御案内』なる書物がある。

瀬戸電気鉄道株式会社は明治39年に開業、昭和14年に名古屋鉄道に合併している。名古屋市東部の方々にはおなじみのいわゆる瀬戸電、名鉄瀬戸線の前身である。

この「御案内」、観光用に作られたパンフレットであり、表はカラーの絵地図、
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裏は白黒の写真と紹介文になっている。

見所はたくさんあるのだが、
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退養寺の大弘法が「尾張三大弘法第三番」として写真入りで紹介されていたり、

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観音寺小野道風像が紹介され、「蓬莱七福神」の一つとして弁財天が紹介されている。
小幡龍泉寺、赤津雲興寺、長久手古戦場などとともにこの二つの像が紹介されているということは、当時は観光資源として価値のあるものだった証拠となるだろう。

ところでこのパンフレット、図書館でも年代不明として収蔵されているのだが、いつ作成されたものだろうか?

退養寺の大弘法が建立されたのは昭和6年3月である。
また路線図を詳しく見ていくと、終点、瀬戸駅から2駅手前に「横山駅」が見える。
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「横山駅」が「尾張横山駅」に名称変更したのは昭和10年6月1日であるから、この御案内は少なくとも昭和6年〜10年の間と考えられる。

そして、絵地図を詳細に観察していたところ、小幡のあたりで不思議な路線を発見した。
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ん?

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龍泉寺鐵道豫定線?

・・・龍泉寺鉄道予定線!!
土地勘のない方に説明しておくと、こんな路線は戦前も戦後も存在していない(龍泉寺周辺には、2001年開業のゆとりーとラインなるバス路線が走っているが小幡−龍泉寺間ではなく大曽根駅発着である)。
しかも存在しない「松河戸駅」や「龍泉寺駅」まで描かれている。

つまり、予定の中では瀬戸電鉄の延伸計画があり、松河戸観音寺尾張三大弘法第一番御花弘法は十分に瀬戸電気鉄道の射程圏内だったことになるのだ。
昭和初期、まだまだ明治から始まった鉄道の建設は過渡期で、様々な計画ができては消える戦国時代だったようである。
名古屋近郊の鉄道会社の覇権争いの一部にコンクリート像が絡んでいるのだ。

やはり鉄道会社とコンクリート像は何かしらの関係がある。前回紹介した小野道風像も、銘板に残る山口悦太郎の単独建立ではなく、祝辞にあった通り瀬戸電のバックアップもあったと考えるのが自然だ。

繰り返しになるが、鉄道会社肝入りの観光パンフに紹介されているということは、浅野祥雲(及び雲岳)たちは、鉄道会社の観光のメインになるコンテンツ(コンクリート像)を作成していたということになるのだ。それだけ価値のあるものを。B級ではなくA級、S級のものを。ということは職人としても相当評価が高かったとも考えられるだろう。
なぜそれほど高い評価を受けていたのか?今はまだわからない。


ちなみに御案内に記載のある「蓬莱七福神」の寺などを少し回ってみた。今のところ新たなコンクリート像の発見はないが、このあたりにも新たな像の発見の手がかりがあるかもしれない。


なんだかどんどん深みにはまっているようなコンクリート像研究。
うまいこと表現できませんが、調べれば調べるほど、昭和初期の名古屋史のメインストリームに近づいていくような気がしてならない。

つづく
2015. 10. 04  
さて、前回の記事からずいぶん時間が経過してしまったが、あらためて昭和初期に突如現れた「雲岳」というの謎のコンクリ仏師に迫っていきたいと思う。

とその前に時間が空いてしまったため、これまでのダイジェストからご覧ください。

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春日井市松河戸町、観音寺にあるコンクリート製・小野道風像。

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銘板には作者・雲岳と寄進者・山口悦太郎の文字がある。

雲岳の名前は現在のところこの小野道風像と、隣のコンクリ製弁財天(昭和6年?)、
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そして岩崎御嶽山のごく一部の像と、

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勝川大弘法周辺にのみ、その名が刻まれているが、その出自から全てが謎に包まれている。もちろんインターネットにも情報はない。
しかし、昭和3年〜6年にかけてこの辺りで大きな仕事をしているようだ。
そこで、何か手がかりになるものはないかと地元の図書館を訪ねた。

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すると図書館の道風コーナーで見つけたのは地元の方が編纂した「保存と顕彰の歩み」。
表紙にはコンクリ製道風像が使われている。
これは期待できるかもしれない。そう思ってページを手繰ると、一つのページで手が止まった。

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それは鳥居松村(春日井市の前身のひとつ)の村長代理による小野道風像の除幕式祝辞である。 
日付は昭和4年9月15日。

(前略)小野道風公ノ立像除幕式ヲ兼ネ七福神ノ一ツナル辨財天ノ奉安式ヲ挙行セラル・・・(以下略)

つまり、道風像と弁財天の除幕式である。ここから、道風像と弁財天はともに昭和4年には完成していたことがわかる(弁財天については『コンクリート魂』に寺の記録から昭和6年作の記載があるが)。

そして、
・・・本村隣接勝川町在山口悦太郎氏ハ武田観音寺住職ニ諮リ自ラ永劫不滅ノ立像建立を企画シ・・・

と、山口氏が私財を投じて永劫不滅の像を建立したことがわかる。
そしてさらにその後、

・・・計画の実施遂行ニ方リテハ武田良道師ヲ始メトシ瀬戸電氣鉄道株式会社站(?)松河戸部落民諸氏ノ?少ナラザル後援ニヨリ・・・

とあるではないか。

瀬戸電気鉄道といえば尾張三大弘法とも深いつながりがあると思われる、名鉄の前身となった鉄道会社である。
祝辞の中に作者である雲岳の名はない。しかし、わざわざ銘板にもないのに名前を出す「瀬戸電」。山口氏、地元民と並び名前を挙げるということはスポンサーとしてそれなりの援助をおこなっていたのであろうか。それはこの小野道風&弁財天が観光資源(=瀬戸電利用促進)としてもそれなりに期待されたものであったのであろうか。

しかし、当時は「瀬戸電」が、春日井に観光に来るための手段とて果たして有効だったのであろうか?現在の駅で考えると一番近くても小幡駅、直線距離でも3km程度は離れている。現在ではあまり関係が大きいとは言えないし、どちらかといえばJR中央線の方が近い。

いずれにせよ瀬戸電とコンクリ像はなんらかのつながりがある。これもいずれ解明していきたい謎である。

そしてもうひとつ、この冊子に重要な記事があった。それがこちら↓
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雲岳の直筆の書である。
「昭和四年初夏 雲岳」の銘がある。
何が書いてあるか、完全には解読できていないのだが、雲岳の謎に迫る重要な手掛かりになると思われる資料である。


つづく
プロフィール

つるま

Author:つるま
コンクリ像、歴史、廃線、民間信仰、などなど

写真の撮影や記事の内容には極力留意しておりますが、ご都合悪い場合はお知らせください。

メール bluegrassnagoya@hotmail.co.jp

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