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2016. 01. 28  
「福崎日精のコンクリ像が木曽川の対岸にまだある。」

なんと、恵那峡を挟んだ反対側、現在は無住のお寺となっている場所に、蛙の観音さまのような像があるというのだ。
その情報をもとに、私は対岸に向かった。

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対岸には恵那峡ワンダーランド。
そして、その隣、『寳林山高徳寺』にその像たちはあった。

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こちらが高徳寺。

そしていきなり出迎えるコンクリ白衣観音像。
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下には鬼も。
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これは、これまで見てきた福崎日精作と共通する作風。これが「カワズカンノン」か?

にしてもこのお寺、無住にしてはやたらきれいだな・・・と思っていたところ。

「こんにちは」と、お寺の中から若い住職が出てきた。
聞くと、最近こちらの住職になったばかりなのだという。

筆者が「カワズカンノン」なるコンクリ像を探しに来たと伝えると、
「ああ、それは階段を登ったところにある『蛙薬師』のことですね」とのこと。
そして「ご案内しますので是非ご覧ください」との申し出。
なんと、コンクリ像探しでこんなにありがたい申し出は初めてだった。

さらに「蛙薬師の前にもコンクリートの像があります」
・・・!!

それがこちら
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不動明王像???

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どう見ても弘法大師ではないだろうか。

住職によると、以前に像の場所を動かしたときに間違って不像明王の碑を置いてしまったのではとのこと。やはり住職から見てもこちらは弘法大師のようだ。
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しかしこの表情、そして細かいレリーフのようなコンクリ細工。福崎日精作の可能性が高い。

そして『蛙薬師』へ。

蛙薬師の登場。
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なんなんだコレは。スゴい。スゴすぎる。

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薬師、上、上!

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恵那峡がいくら奇岩で有名だからって、コンクリ像の上にせり出した巨岩なんて見たことも聞いたこともない
むしろなぜこれが世の中に知られていないんだろう。

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お顔立ちは独特。

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足元もコンクリ造形でオシャレに。

住職曰く、「こちらの蛙薬師さまは福崎日精さんが再建されたという記録があります」とのこと。
なんでも、明治時代にこの辺り(岐阜県蛭川村)は当時の苗木藩によって廃仏毀釈が徹底的に行われたそうだ。
昭和初期はその揺り戻しで、お寺の復興がなされた。そのときにこの蛙薬師は建てられたのだそうだ。
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さらに住職は言った。「この上にも弘法様の立ち姿の像がありますよ」

なに!?まだあるの!?

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そしてこのような巨岩を抜け、さらに山の上を目指す住職。

何か見えてきた・・・
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誰か立ってるぞ。


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コンクリ製立弘法!!

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台座には「昭和七年九月」。

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台座前には銘板の痕跡?

そして裏側には・・・
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建立者の名前か?「勝川町 丹羽?? 長嶋乙吉」と見える

勝川町・・・、勝川町といえば、名古屋の北、このブログで何度も登場するあの大弘法の現存する場所。
なぜこんなところで、何キロも離れた場所の人が建立しているんだ。

そして、住職によれば、対岸の立弘法と対で建てたのではないか、そして、2対で恵那峡=大井ダムの慰霊と安全祈願をしたのではないかということだった。
そして、この像たちがほとんど知られていないのは、この場所が旧蛭川村、現在は中津川市に編入されており、旧大井町(現恵那市)の観光とは切り離された存在だったと考えられる。

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ものすごい見晴らしのいい場所に建っている。ただ、けっこうな崖地なので見学には注意が必要。

にしてもまだ見ぬ祥雲像の謎を追いかけていたはずなのに、なぜか福崎日精の像に囲まれてしまった。

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一体全体恵那峡を取り囲むこのコンクリ像群はなにを意味するのか。
筆者にはそこに何かが隠されているような気がしてならない。

(つづく)
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2016. 01. 26  
さて、このブログの初期に書いた話。恵那峡の大井ダムに弁財天があり、それが浅野祥雲の作風に似ているという検証記事があった。

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浅野祥雲の謎を追え 恵那峡弁財天編 3/5

あの像、恵那峡弁財天のことがずっと気になっている。
もし仮にあの像が浅野祥雲の作品だとすると、祥雲の経歴を知る上で、ものすごく重要な手がかりになる、と個人的には思っているのだ。

そしてもうひとつ、恵那峡の近辺には福崎日精なる人物のコンクリ像が幾つかあることも分かった。

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恵那峡さざなみ公園周辺コンクリ像についての考察

そしてネットで情報収集して見つけた恵那の商店街にあるという福崎日精のライオンのコンクリレリーフも実際に見てみたかった。

そんなことで、あらためて恵那峡のコンクリ像の謎を探るために2015年秋、再び恵那峡へ向かった。

今回、JR恵那駅構内にある恵那市観光協会を訪ねた。すると、行在所(あんざいしょ)にいるOさんを訪ねたらよいとのアドバイスをいただいた。

そこで、行在所と呼ばれる場所を訪れた。

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明治天皇行在所

行在所とは、明治天皇が行幸の際に宿泊された場所で、現在は資料館のようになっている。
この辺りは昔、大井宿と呼ばれる中山道の主要な宿場町で、その資料だけでも非常におもしろくて価値のあるものがたくさんある。

そこで案内のボランティアをされているOさんに、恵那市史に出てくるのコンクリ像群について、長い時間聞き取り調査をすることができた。そして、なんとこのOさんこそ、福崎日精のライオンレリーフのあるタバコ屋のご主人であった。

なんでも、Oさんが生まれる前、福崎日精は昭和初期のコンクリ像群建立の際にOさん宅に宿泊したという(このエピソードは恵那市史にも収録されている)。
そして、大井ダム建設の犠牲者の慰霊のために、ダム建設で余っていた資材を使って作ったという。
そして、それ以来、Oさんのご両親(故人)と福崎日精の間に個人的に親交ができ、文通をしていたのだという(手紙は現存せず)。
福崎日精氏は昭和40年ごろに多治見の白衣観音を建立している。
《参考画像》
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多治見白衣観音。戦没者慰霊のために建てられたという。福崎日精確定作品。

この多治見白衣建立の際にも、恵那のOさん宅まで立ち寄り、主人の父親の他界を悼んだとのこと。残念ながら主人はその時間学校に行っていて、福崎氏には直接会っていないのだという。


さて、恵那市史に記述のある『福崎日精』が昭和6年に建立した5つの像についてOさんに尋ねた。
1、弁才天・・・恵那峡弁天島
2、白衣観音・・・恵那峡駐車場上
3、弘法大師(立像)・・・傘岩入口
4、弘法大師・・・奉行橋北道路沿い
5、不動明王・・・奉行橋南の丘の上
(番号は市史の順に筆者が付番)

Oさんはこのうち、2と3は看板も立っているし、福崎日精作だろう。
だが1の弁財天について、他の作品と作風が違うし、福崎日精とは言い切れないと思っているとのことであった。
Oさんが小さいころは、弁天島までの橋は無く、船で島に渡って掃除の手伝いをしたのだという。

そして、4番の弘法大師の坐像は奉行橋の南側に移転されて現存しているとのこと。

そして、5番の不動明王は3年ほど前に取り壊されたことを教えていただいた。
そして、不動明王の出来栄えは素晴らしく、カラフルで、1体ではなく、周りにも他の像があり、それは立派な像で、Oさんは所有者が壊すのを反対した、というエピソードを教えていただいた。

その話を聞いた瞬間に、「カラフル」というところが引っかかった。カラフルな不動明王像・・・1体ではない・・・。それは果たして福崎日精の作品だろうか??それとも・・・。

写真など残っていないか、失礼にも少し食い下がってみたのだが、ここには残っていないとのこと。
ただ、不動明王の元の所有者の家にはその原画があるらしいとのこと。興味深い話だ。

そしてOさんにお礼を言って行在所をあとにし、すぐそばのタバコ屋の横にあるライオンのコンクリレリーフを拝見した。
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正面

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左面、人魚のレリーフ!

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右面、女性のレリーフ。

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説明看板。白衣観音を作るために来た、とある。

コンクリレリーフも、昭和初期に造られたとは思えない見事なものだった。
仏門にあって、弘法大使や観音を作ってた人が、人魚とか女性の洋風なモチーフの作品を作ってたことになんだか違和感を感じるものの、作風は福崎日精のものなんだろう。
そして、説明の看板も作ってもらえていて、優遇されているかに思えるが、実際はその足取りはつかめていない。

そしてもうひとつ、弘法坐像を見に行くことにした。
前回の記事で訪れた奉行橋のすぐ南側にその像はいらっしゃった。
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ようやくお会いできましたね。

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やはり細かいコンクリ造形。
「奉行橋の北」という記述に惑わされたが、どうやら所有者が北側から南側に移動させたという経緯があるらしい。
どうりで見つからなかったはずだ。これで、壊された5番以外は全て見つかったことになる。
だが・・・。


順番が前後するが、先ほど行在所で私がOさんに礼を言い、その場を後にしようとしたその時だった。
「福崎日精の像は木曽川の反対側にもあるんだよ」
え?上の5体以外にもあるの?
カワズカンノンという福崎日精が作った像があるんだ」

そういうわけで私はその情報をもとに木曽川の対岸に向かった。

(後編につづく)
2016. 01. 21  
あけましておめでとうございます。
今年も本サイトは誰も求めていない情報を勝手に掘り下げて、いつの間にか人々から忘れ去られた歴史を少しだけインターネット上に引きずり出すサイトを目指します。

さて、本日の主役は既に本サイトで取り上げたことのある『尾張三大弘法第弐番 開運大師(尾張旭市・昭和6年)』
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名鉄瀬戸線・印場駅からすぐのお寺、良福寺にあるこの大弘法、一体誰が作ったのだろうか。

偉大なるサイト「珍寺大道場」にも掲載されており、コンクリ魂でも作者不詳の大弘法として紹介されている。

この大弘法、素材はおそらくコンクリートである。(追記 ※石像であるという複数の指摘をいただきました。今後検証いたします。)
あまり注目を集めないのは、
・寺の境内にひっそり佇んでいる。
・着色されてない。
・やや小ぶり。
・台座がしっかりした石組みで、ファンキーな部分がない。
これらの理由だろう。
一言で言うと、祥雲作確定作品に比べて「真面目」な作風である。
とにかく地味でインパクトがないのだ。

しかし撮りためた大弘法たちの写真を見比べていた筆者には何かが気になった。

一番気になったのはその表情だ。

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この弘法、よく見ると眉毛や鼻の下の筋もしっかり作られている。
それでは、ほかの弘法シリーズと比べてみよう。

尾張三大弘法第三番・厄除大師(尾張旭市・祥雲作・昭和6年)
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春日井駅前弘法(春日井市・推定祥雲作・昭和7年)
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本サイト初登場、浅野祥雲作・番割弘法大師(中川区・祥雲作・昭和48年)
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こちらも本サイト初登場の姥子山厄除大師(緑区・推定祥雲作・昭和7年)
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慈眼寺弘法(春日井市・尾洲三大弘法第二番?・作者不詳・昭和8年)
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勝川駅前弘法(春日井市・雲岳作・昭和3年)
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そして、今回の良福寺・開運大師
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いかがだろうか。できることならみなさんの頭の中で、全ての着色を剥がして見てほしい。
眉毛の作り込み、鼻の下の筋、そしてどことなく虚ろ気な表情、どれも共通したものを感じるのは私だけだろうか。
開運大師の名に恥じない立派な福耳もお持ちだ。


そしてもう一つ、作者の謎に迫る材料として、台座の裏の銘板をチェックしておきたい。
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この銘板の中の一つ、

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「南区熱田妙安寺」の文字が見える。

この南区熱田妙安寺、現在の熱田区妙安寺がどこにあるか。地図で見てみよう
この場所、堀川沿いのお寺のようである。隣の堀川に架かる橋は「住吉橋」、そして一本南に架かる橋は「瓶屋橋」である。

「カメヤバシ」という名前に聞き覚えのある方は既に相当な浅野祥雲フリークであるとお見受けする。
そう、何を隠そうこのカメヤバシとは、雲岳=祥雲説を裏づける重要な証拠の一つ、岩崎御嶽山の浅野雲岳作の覚明霊神像に刻まれた場所なのである!

この一致は果たしてただの偶然だろうか、それともこの開運大師の作者とこの場所「カメヤバシ」にはなんらかのつながりがあるのであろうか。

この件に関して今の所判明しているのは以上となる。
今後も勝手に調査を続けて新たな証拠を集めたいと思っている。
(※追記 繰り返しになりますが、石像であるという複数の指摘をいただきました。今後検証いたします。)
プロフィール

つるま

Author:つるま
コンクリ像、歴史、廃線、民間信仰、などなど

写真の撮影や記事の内容には極力留意しておりますが、ご都合悪い場合はお知らせください。

メール bluegrassnagoya@hotmail.co.jp

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