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2016. 05. 01  
今日紹介したいのは、新たな像。
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「岡田菊次郎君壽像」(昭和24年建立)。

この像がある場所は安城市、明治用水会館という建物の前だ。
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以前この像は安城の農協敷地内にあったそうだが、最近移転したらしい。

安城の町会議員、郡会議員、県会議員を経て、安城村、安城町長として、町政の発展に尽くした方らしい。
明治用水や施設整備で「日本のデンマーク」(リンク)安城の礎を気づいた人物だそうだ。

見た感じ新しそうに見えるこの像だが、どうやら塗り直しが行われているようだ

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うしろ

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アップ

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岡田菊次郎君壽像、とある。

先ほどの記事から、岡田菊次郎(1867~1962年)が62歳の時に銅像が建てられたということなので、最初の銅像は1929(昭和4)年ごろに建てられているようだ。
そして、金属供出により取り壊され、戦後に作り直されたとある。
こ、これは、臭うぞ。


以前に紹介した、高田知文氏像(北名古屋市)もそうだった。
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この時も、昭和3年に建てた銅像を昭和24年に「セメント材」で再建したとあったのだ。


ついでなので、その他の浅野祥雲の「偉人像」を見てみよう。
浅野祥雲は幾つかの「偉人像」を建てているのだが、現存する像の中で、紋付袴を着ている全身像で、祥雲の銘の入っている唯一の像がこちらだ。
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木村新次郎先生像(中津川市・昭和28年)
こちらは祥雲が、名古屋での成功を感謝して地元の恩師である校長先生のために建てた像である。


そして、祥雲作が疑われるものとして以前紹介したこちら
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大野晃翁寿像(北名古屋市・昭和17年)


実は、今紹介した4つ、全ての像が、右手に扇子を持ち(又は持っていた形跡があり)、紋付袴の長さや帯の形状、後ろ姿がほとんど完璧と言っていいほど一致するのだ。
木村新次郎像と高田知文像なんて、色が違うだけで本当に瓜二つだ。

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「紋付袴」というある程度型の決まった衣服とはいえ、誰かが寸法を決めていたかのようにここまでピッタリと一致するものだろうか。そして、像の材質は全てコンクリートだ。 

これはどういうことか。つまり、祥雲は戦中戦後の金属供出の影響で、戦中〜戦後、コンクリ製偉人像を作る仕事を得たのではないか、という推測に至る。
そこには銘が入っていないため、誰が作ったか記憶する人もいなくなってしまっているのではないだろうか。

この仮説が正しいとすると、だ。地元の超名士の像を作るということは、祥雲は、やはり相当腕を認められていたことになるのではないか。

もう一つこの仮説を裏付けるものとして、「名古屋市長像」
昭和33年ごろに完成した、歴代の名古屋市長の全身像である。残念なことに、後年半分に切られてしまい、元の姿は写真でしか見ることができない。
これらの像は、平和公園の平和堂の中に保管されており、年4回の公開期間に見ることができる。

この中にも、実は紋付袴の像がある。

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初代名古屋市長、中村修

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3代目、柳本直太郎

この2体だ。この2体、元は全身像で、写真で見るとやはり、右手に扇子を持った直立ポーズだった。
つまり、このポーズが「祥雲のつくる紋付袴の像」のデフォルトだったと考えられるのだ。

あくまで可能性ではあるが、コンクリート製偉人像というジャンルにおいて、まだ見ぬ像を発見できる可能性はあるのではないか。
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プロフィール

つるま

Author:つるま
コンクリ像、歴史、廃線、民間信仰、などなど

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