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2018. 08. 19  
前回記事の続き

本ブログの最初の目的であり、最大の謎であるコンクリート仏師『雲岳』の謎について、あらためて考える企画の続きです。
前回は、愛知県春日井市に存在する「雲岳」銘の残る4つの像を中心に見ていただきました。
今回は、そこから車で40分ほど、愛知県は日進市の岩崎御嶽山に行ってみることにしましょう。

岩崎御嶽山のことについては先人たちのホームページが充実していますので、興味のある方は各自お調べください。

岩崎御嶽山に実際に足を運ばれる方は、ご注意願いたい。
先人たちのブログなどでも散見されるが、筆者も初めてこの岩崎御嶽山に足を踏み入れたときは、その異様な雰囲気に畏れおののいた。無数に石碑や人の形をした像が乱立しているからだ。正直言って不気味である。
何が不気味なのかというと、ついつい我々は、乱立する石碑=墓を連想してしまうことが要因であると思う。

実は、御嶽山の石碑や像は墓ではなく、「霊神碑」や「霊神像」と呼ばれるものだ。御嶽教では、功績のあった行者を霊神としてまつり、霊魂が山に帰り大神に仕えるという考え方にもとづき山中に行者名を記した碑を建立するのが習わしなのだそうだ。

岩崎御嶽山の成り立ちについて、ごく簡単に言えば、御嶽信仰(御嶽教)の聖地である木曽御嶽山の代替として、名古屋近郊の簡易的な霊場として誕生した歴史を持つ。尾張地方では江戸時代に「覚明行者」と呼ばれる、木曽御嶽山を一般に開いた御嶽教中興の祖を輩出しており、御嶽信仰の厚い(厚かった)場所であるのだ。
昭和初期、農閑期である春と秋には木曽と岩崎にそれぞれみんなでお参り(お参りという表現が正しいかはわからないが)に行っていたという。

この岩崎御嶽山、簡易的とはいうものの、かなり広大な敷地の中に、無数に像が乱立しており、しっかりと信者さんがいらっしゃるエリアもあるが、今や管理する組織がなくなったエリアも多く、誰もその全貌を把握できていないのだという。

その中のある場所に、『雲岳』の銘が刻まれた像がある。

《コンクリ像DATA》
名称:普寛霊神像
所在地:愛知県日進市岩崎町竹ノ山
建立年:昭和3年(1928年)12月


ここ岩崎御嶽山の本殿である岩崎御嶽社からほど近い一角に、「普寛霊神」の像がある。

IMG_9595.jpg  IMG_9597.jpg
普寛行者も覚明行者とともに御嶽山を開山した人物として知られている。
その霊神像の裏に、銘がある。

IMG_9584.jpg  IMG_9585.jpg
非常に見にくいが、「昭和三年十二月」「雲岳」とある。

IMG_9600.jpg
また、その隣には不動明王と二童子という、どこかで見た組み合わせの像も並んでいる。

IMG_9588.jpg
その像を奉納した者の銘が刻まれている(「愛商組 仲仕連 カリト奉納」と読めるのだが、何を意味するかは謎である。真相をご存知の方から情報を募集したい。)

IMG_9589.jpg
またこの一角を囲む石柱には「夢の家」という屋号と、女性の名前と思われる名が刻まれている。芸妓などの名前だろうか?

IMG_9590.jpg
とにかく、この普寛霊神像、春日井市の弘法大師像と時期も近く、造形も似ているため、この『雲岳』なる人物は同一人物であると判断して差し支えないだろう。


そしてもう一箇所。
さらに奥深くの山中に、その像はある。

それは、この「覚明霊神」像である。
IMG_9664.jpg

《コンクリ像DATA》
名称:覚明霊神像
所在地:愛知県日進市岩崎町竹ノ山
建立年:昭和4年(1929年)11月


IMG_9652.jpg IMG_9651.jpg
一見すると不気味に見える像だが、目には「玉眼」と呼ばれる技法が使われているようだ。
この像、斜面の一画の最頂部に建立されており、眼下には無数の霊神碑が立ち並ぶ、一画の中で重要な立ち位置であるように思われる。

この像の銘はこう入っている。

IMG_9658.jpg  IMG_9657.jpg
「昭和四年十二月 ナゴヤカメヤバシ 浅野雲岳

『雲岳』ではなく、『浅野雲岳』とある。
つまり、雲岳の苗字は浅野であるということになる。


2018年8月現在、『雲岳』の銘が残された像はこれだけだ。
時系列で並べてみる。

昭和3年   春日井市崇彦寺 勝川大弘法大師像
昭和3年   春日井市崇彦寺 勝川不動明王像+二童子
昭和3年12月 日進市岩崎御嶽山 普寛霊神像
昭和4年4月 春日井市観音寺 小野道風像
昭和4年   春日井市観音寺 弁財天像
昭和4年12月 日進市岩崎御嶽山 覚明霊神像(※浅野雲岳銘

他にも雲岳を思わせる像は見つかっているが、『雲岳』銘が残る像はこの6体のみ。たった2年間の活動期間なのだ。
そして、一番古い像が、最も大きな18mの勝川大弘法大師である。
あなただったらそんな、名前も実績もない人物に、いきなりそんな巨大な発注をするだろうか?

昭和3年の時点で、雲岳はどんな実績があったのだろう。願主である山口悦太郎はどんなツテで仏師・雲岳の存在を知ったのか。
そして、これらの作品のみを残し、雲岳はどこへ消えたのか
謎は深まるばかりである。



次回、コンクリート像を見にゆきます(仮)「この謎が解ければあなたもコンクリート像マスター!!これまでに集めた『雲岳』の情報から人物像をプロファイル!」の巻 



※ 本ブログでは謎のコンクリート仏師『雲岳』の情報を随時募集中です。雲岳の銘が入った作品、書物などをご存知の方はぜひともお知らせください!
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2018. 08. 11  
ご無沙汰しております。つるまです。
暑い日が続きますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

本日はいつもと趣向を変えて、本ブログの最初の目的であり、最大の謎であるコンクリート仏師『雲岳』の謎について、あらためて皆さんに知っていただきたいという意味で、これまでに当ブログで紹介したことも含めて、まとめ記事みたいなものを書くことにしました。

まず『雲岳』(生没年不詳)とは、愛知県西部に存在するコンクリート像の銘板などに残された仏師の名である。
かなり限られた像にのみにしかその名は残されておらず、その活動期間も昭和3年から昭和5年の超短期間なのだ。
あまたあるコンクリート像の中でも最初期に残されているにも関わらず、その完成度は高く、
彗星の如く現れ、そしてわずかな作品を残して忽然と姿を消してしまう、コンクリート像界における「東洲斎写楽」的な存在、それが謎のコンクリート仏師『雲岳』なのです。
雲岳とは一体誰なのか、この謎が解ければあなたもコンクリート像マスター、コンクリート像愛好家の中で一躍ヒーローなのであります!!!!

・・・すみません、興奮しすぎました。

とにかく、これまでに判明している『雲岳』の全てをご覧いただこうという趣旨なのです。
(この記事は2018年8月11日現在に判明している事実です。これ以外のことをご存知の方、コンクリート像の関係者の方、われこそは雲岳だ、というかたの情報を首を長くしてお待ちしております。)


まずはじめに紹介したいのはこの像。

D15.jpg

《コンクリ像DATA》
名称:勝川大弘法
所在地:勝満山崇彦寺(愛知県春日井市若草通1丁目3) 
建立年:昭和3年(1928年)
高さ:約18メートル


スクリーンショット

愛知県の西部に位置する名古屋市のベッドタウン、春日井市。
その町の西の玄関口、勝川駅から徒歩5分。

DSCN1105.jpg

「大弘法」の横断幕がはためくその名も「かちがわ大弘法どおり商店街」を抜ければ、そこに大弘法様がお待ちかね。

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あ、どうも。

IMG_7581.jpg
この像の台座の側面のコンクリート板に、銘が彫られている。

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御大典紀念 建立 山口悦太郎
昭和三年 雲岳作 とある。

この大弘法の台座には、もう一体の弘法大師像と、千体弘法がある。
ひょっとするとこの像たちも雲岳作なのかもしれない。

DSCN1113.jpg

そして、この崇彦寺内にはほかにも雲岳の作品がある。

DSCN1108.jpg
それがこちら、「不動明王&二童子」
こちらは、背面に銘がある。

DSCN3368.jpg
昭和三年 山口悦太郎立之 雲岳作

謎のコンクリート仏師・雲岳ファンとしては、この崇彦寺を押さえておかない手はないだろう。

***********************

さて、続いてやってきたのは崇彦寺から車で10分ほどの場所、同じく愛知県春日井市は松河戸町にある「観音寺」。
DSCN1150.jpg
ここには2体の雲岳作品に出会うことができる。

《コンクリ像DATA》
名称:小野道風像、弁財天像
所在地:観音寺(愛知県春日井市春日井市松河戸町824) 
建立年:昭和4年(1929年)


DSCN1132.jpg
小野道風像。
小野道風(おののとうふう)は平安時代に活躍した書家で、「三蹟」の一人。ここ春日井市松河戸町は小野道風の誕生伝説があり、昭和初期から奉賛会を組織して書道大会を実施、昭和56年には隣接地に道風記念館を開館している。

この像の建立の経緯については以前の記事に詳しく書いているのでよければご覧ください。

さて、この小野道風像の裏にも銘板が彫られている。
DSCN1136.jpg
立像 寄附主 勝川 山口悦太郎
板の左下には雲岳作とある。
建立されたのは昭和4年4月、開眼式は昭和4年の9月15日。
コンクリートに彫られた達筆な筆跡は、勝川大弘法のそれと同じである。

そしてもう一体。
DSCN1139.jpg
同じ観音寺の参道を挟んで反対側にある、弁財天像。
台座に龍が巻き付いた見事な造形のこのカラフルな弁財天像は、よく目を凝らすと台座の裏側に、

IMG_1704.jpg
雲岳の文字が。
この弁財天像、先ほど紹介した過去記事から、小野道風と同時に建立されたことがわかっているので、建立年は昭和4年である。

今回は愛知県春日井市に「雲岳」のコンクリート作品2箇所を紹介した。
次回はさらにディープなスポットに皆様をご案内します。


《次回予告》
日進市に御嶽山が?!そこに残された「雲岳」の文字とは?
次回 コンクリート像を見にゆきます(仮)「この謎が解ければあなたもコンクリート像マスター!!『雲岳』の謎まとめ」の巻《後半》 お楽しみに!!
プロフィール

つるま

Author:つるま
コンクリ像、歴史、廃線、民間信仰、などなど

写真の撮影や記事の内容には極力留意しておりますが、ご都合悪い場合はお知らせください。

メール bluegrassnagoya@hotmail.co.jp

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