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2015. 01. 26  
前回の記事『浅野祥雲の謎を追え』の中で、恵那市観光協会に送っていただいた資料は『恵那市史』。
そこには以下のような記述がある。

以下原文ママ
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仏像の建立
昭和六年恵那峡周辺にコンクリート製仏像五体が次の位置に建立された。
○弁才天・・・恵那峡弁天島
○白衣観音・・・恵那峡駐車場上
○弘法大師(立像)・・・傘岩入口
○弘法大師・・・奉行橋北道路沿い
○不動明王・・・奉行橋南の丘の上
いずれも像高二〜三メートルの大型仏であるが彫も深く繊細な作りである。作者の福崎日精は当時修業僧で各地を廻り仏像の造立をしていた(後滋賀県醒井町地蔵院の僧となった。また妻木の神馬及び昭和四〇年多治見市戦没者慰霊塔の観音像を造立した)。
******************

・・・つまりこの記事を完全に信用するならば、作者は福崎日精ということになるのだが・・・。

恵那峡駐車場上の白衣観音
IMG_1337.jpg
たしかに「福崎日精」の文字が。

IMG_1341.jpg
こちらが白衣観音さま

IMG_1342.jpg
お顔立ちは結構リアル

コチラは今でも観光名所の『傘岩』。
IMG_1326.jpg
これはこれですげー。

そしてその手前には苔むした立弘法様が。
IMG_1313.jpg

IMG_1318.jpg
白衣観音と同じお顔立ち。

IMG_1308.jpg
看板の説明にも福崎日精作の文字が。

他の像も求めて奉行橋へ行ってみるも・・・。
IMG_1349.jpg
奉行橋

今回の短時間の調査では見つからなかったため、残された像については今後の課題としたい。
ともかく、恵那市史に記述のある「五体の大きなコンクリ像」のうち3体の特徴を比較してみたが、弁財天と他2体は人相や衣服の造形などが異なる気がする。よって、あえて前回の記事では弁財天を福崎作とは断定せず、雲岳作弁財天との比較を試みたが、いかがだろうか。

IMG_1347.jpg
奉行橋のふもとの看板。

昭和3年から昭和7年にかけて、現在の恵那駅から大井ダムまで北恵那鉄道が走っていたという。
観光目的の汽車と観光目的のコンクリ像の造立年がピッタリ一致するのはおそらく偶然ではあるまい。
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