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2015. 02. 03  
次に見に行った像がこちら、高田知文氏像(北名古屋市)。

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高田知文氏像。右側には石碑「高田知文翁の碑」。台座はもじゃ台座ではない。
インターネット上にはほとんど情報がなかったが、先の大野氏像と比べてとてもよく整備された場所に立っていた。
石碑によると、西春町の九之坪から沖村まで、幅2間の道を作った方らしい。

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正面

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後ろ姿

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台座には「昭和三年四月」の表記

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見にくいが、石碑には「・・銅像ガセメント材ニテ復旧シマシタ・・」の文字。

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再び台座を見てみる。これまた非常に見にくいが、「・・昭和二十四年十月再建セリ」とある。

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足下、これは”もじゃ台座”?

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右手には金具の一部が。扇子があった?

紋付袴+右手に扇子のモチーフは先に紹介した大野晃翁寿像についても同じである。
祥雲作と認められる中にも、中津川坂本神社の木村新次郎先生像、一部の霊神像に見られる。
これらの像、羽織の紐や袴の帯の形状もよく似ているように感じる。
この時代の人物像に共通のモチーフであるのか、それとも同一の人物が作製したものなのだろうか。

石碑にある、昭和3年に建てた銅像を昭和24年に「セメント材」で再建したとの記載も気になる表現だ。
想像するに、銅像と台座を昭和3年に建立、戦時中の金属供出で台座のみ残され、昭和24年に台座はそのままに再建したということになる。

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なんにせよ、戦後にこの辺りローカル偉人像をコンクリで作製した人物がいて、それを取り壊すことなく守ってきた地域の人々がいた。
戦前戦後にこの立像ムーブメントがこの辺りにあったのだとすれば、まだ見ぬローカル偉人像はどこかに潜んでいるのかもしれない。
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