FC2ブログ
2015. 10. 09  
IMG_5046.jpg
ここに『瀬戸電鐡沿線御案内』なる書物がある。

瀬戸電気鉄道株式会社は明治39年に開業、昭和14年に名古屋鉄道に合併している。名古屋市東部の方々にはおなじみのいわゆる瀬戸電、名鉄瀬戸線の前身である。

この「御案内」、観光用に作られたパンフレットであり、表はカラーの絵地図、
IMG_5121.jpg

裏は白黒の写真と紹介文になっている。

見所はたくさんあるのだが、
IMG_5118.jpg
退養寺の大弘法が「尾張三大弘法第三番」として写真入りで紹介されていたり、

IMG_5119.jpg
観音寺小野道風像が紹介され、「蓬莱七福神」の一つとして弁財天が紹介されている。
小幡龍泉寺、赤津雲興寺、長久手古戦場などとともにこの二つの像が紹介されているということは、当時は観光資源として価値のあるものだった証拠となるだろう。

ところでこのパンフレット、図書館でも年代不明として収蔵されているのだが、いつ作成されたものだろうか?

退養寺の大弘法が建立されたのは昭和6年3月である。
また路線図を詳しく見ていくと、終点、瀬戸駅から2駅手前に「横山駅」が見える。
IMG_5120.jpg

「横山駅」が「尾張横山駅」に名称変更したのは昭和10年6月1日であるから、この御案内は少なくとも昭和6年〜10年の間と考えられる。

そして、絵地図を詳細に観察していたところ、小幡のあたりで不思議な路線を発見した。
IMG_5048.jpg

ん?

IMG_5049.jpg
龍泉寺鐵道豫定線?

・・・龍泉寺鉄道予定線!!
土地勘のない方に説明しておくと、こんな路線は戦前も戦後も存在していない(龍泉寺周辺には、2001年開業のゆとりーとラインなるバス路線が走っているが小幡−龍泉寺間ではなく大曽根駅発着である)。
しかも存在しない「松河戸駅」や「龍泉寺駅」まで描かれている。

つまり、予定の中では瀬戸電鉄の延伸計画があり、松河戸観音寺尾張三大弘法第一番御花弘法は十分に瀬戸電気鉄道の射程圏内だったことになるのだ。
昭和初期、まだまだ明治から始まった鉄道の建設は過渡期で、様々な計画ができては消える戦国時代だったようである。
名古屋近郊の鉄道会社の覇権争いの一部にコンクリート像が絡んでいるのだ。

やはり鉄道会社とコンクリート像は何かしらの関係がある。前回紹介した小野道風像も、銘板に残る山口悦太郎の単独建立ではなく、祝辞にあった通り瀬戸電のバックアップもあったと考えるのが自然だ。

繰り返しになるが、鉄道会社肝入りの観光パンフに紹介されているということは、浅野祥雲(及び雲岳)たちは、鉄道会社の観光のメインになるコンテンツ(コンクリート像)を作成していたということになるのだ。それだけ価値のあるものを。B級ではなくA級、S級のものを。ということは職人としても相当評価が高かったとも考えられるだろう。
なぜそれほど高い評価を受けていたのか?今はまだわからない。


ちなみに御案内に記載のある「蓬莱七福神」の寺などを少し回ってみた。今のところ新たなコンクリート像の発見はないが、このあたりにも新たな像の発見の手がかりがあるかもしれない。


なんだかどんどん深みにはまっているようなコンクリート像研究。
うまいこと表現できませんが、調べれば調べるほど、昭和初期の名古屋史のメインストリームに近づいていくような気がしてならない。

つづく
スポンサーサイト



NEXT Entry
未発見の像との遭遇 地蔵寺地蔵編
NEW Topics
『交わる2人のコンクリート仏師の運命。雲岳と日精』(前編)
菊間大仏雑感 ー歴史に消えた謎の大仏と、突如姿を現した仏師・福崎日精ー
福崎日精の謎を追え!福崎氏はどこから来たか、その出自に迫る。
【九州編完結】福崎日精の謎を追う九州の旅⑤ 長崎県島原市江東寺 大涅槃像&大地蔵編 後編
福崎日精の謎を追う九州の旅⑤ 長崎県島原市江東寺 大涅槃像&大地蔵編 前編
Comment
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

つるま

Author:つるま
コンクリ像、歴史、廃線、民間信仰、などなど

写真の撮影や記事の内容には極力留意しておりますが、ご都合悪い場合はお知らせください。

メール bluegrassnagoya@hotmail.co.jp

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR