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2016. 01. 26  
さて、このブログの初期に書いた話。恵那峡の大井ダムに弁財天があり、それが浅野祥雲の作風に似ているという検証記事があった。

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浅野祥雲の謎を追え 恵那峡弁財天編 3/5

あの像、恵那峡弁財天のことがずっと気になっている。
もし仮にあの像が浅野祥雲の作品だとすると、祥雲の経歴を知る上で、ものすごく重要な手がかりになる、と個人的には思っているのだ。

そしてもうひとつ、恵那峡の近辺には福崎日精なる人物のコンクリ像が幾つかあることも分かった。

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恵那峡さざなみ公園周辺コンクリ像についての考察

そしてネットで情報収集して見つけた恵那の商店街にあるという福崎日精のライオンのコンクリレリーフも実際に見てみたかった。

そんなことで、あらためて恵那峡のコンクリ像の謎を探るために2015年秋、再び恵那峡へ向かった。

今回、JR恵那駅構内にある恵那市観光協会を訪ねた。すると、行在所(あんざいしょ)にいるOさんを訪ねたらよいとのアドバイスをいただいた。

そこで、行在所と呼ばれる場所を訪れた。

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明治天皇行在所

行在所とは、明治天皇が行幸の際に宿泊された場所で、現在は資料館のようになっている。
この辺りは昔、大井宿と呼ばれる中山道の主要な宿場町で、その資料だけでも非常におもしろくて価値のあるものがたくさんある。

そこで案内のボランティアをされているOさんに、恵那市史に出てくるのコンクリ像群について、長い時間聞き取り調査をすることができた。そして、なんとこのOさんこそ、福崎日精のライオンレリーフのあるタバコ屋のご主人であった。

なんでも、Oさんが生まれる前、福崎日精は昭和初期のコンクリ像群建立の際にOさん宅に宿泊したという(このエピソードは恵那市史にも収録されている)。
そして、大井ダム建設の犠牲者の慰霊のために、ダム建設で余っていた資材を使って作ったという。
そして、それ以来、Oさんのご両親(故人)と福崎日精の間に個人的に親交ができ、文通をしていたのだという(手紙は現存せず)。
福崎日精氏は昭和40年ごろに多治見の白衣観音を建立している。
《参考画像》
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多治見白衣観音。戦没者慰霊のために建てられたという。福崎日精確定作品。

この多治見白衣建立の際にも、恵那のOさん宅まで立ち寄り、主人の父親の他界を悼んだとのこと。残念ながら主人はその時間学校に行っていて、福崎氏には直接会っていないのだという。


さて、恵那市史に記述のある『福崎日精』が昭和6年に建立した5つの像についてOさんに尋ねた。
1、弁才天・・・恵那峡弁天島
2、白衣観音・・・恵那峡駐車場上
3、弘法大師(立像)・・・傘岩入口
4、弘法大師・・・奉行橋北道路沿い
5、不動明王・・・奉行橋南の丘の上
(番号は市史の順に筆者が付番)

Oさんはこのうち、2と3は看板も立っているし、福崎日精作だろう。
だが1の弁財天について、他の作品と作風が違うし、福崎日精とは言い切れないと思っているとのことであった。
Oさんが小さいころは、弁天島までの橋は無く、船で島に渡って掃除の手伝いをしたのだという。

そして、4番の弘法大師の坐像は奉行橋の南側に移転されて現存しているとのこと。

そして、5番の不動明王は3年ほど前に取り壊されたことを教えていただいた。
そして、不動明王の出来栄えは素晴らしく、カラフルで、1体ではなく、周りにも他の像があり、それは立派な像で、Oさんは所有者が壊すのを反対した、というエピソードを教えていただいた。

その話を聞いた瞬間に、「カラフル」というところが引っかかった。カラフルな不動明王像・・・1体ではない・・・。それは果たして福崎日精の作品だろうか??それとも・・・。

写真など残っていないか、失礼にも少し食い下がってみたのだが、ここには残っていないとのこと。
ただ、不動明王の元の所有者の家にはその原画があるらしいとのこと。興味深い話だ。

そしてOさんにお礼を言って行在所をあとにし、すぐそばのタバコ屋の横にあるライオンのコンクリレリーフを拝見した。
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正面

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左面、人魚のレリーフ!

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右面、女性のレリーフ。

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説明看板。白衣観音を作るために来た、とある。

コンクリレリーフも、昭和初期に造られたとは思えない見事なものだった。
仏門にあって、弘法大使や観音を作ってた人が、人魚とか女性の洋風なモチーフの作品を作ってたことになんだか違和感を感じるものの、作風は福崎日精のものなんだろう。
そして、説明の看板も作ってもらえていて、優遇されているかに思えるが、実際はその足取りはつかめていない。

そしてもうひとつ、弘法坐像を見に行くことにした。
前回の記事で訪れた奉行橋のすぐ南側にその像はいらっしゃった。
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ようやくお会いできましたね。

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やはり細かいコンクリ造形。
「奉行橋の北」という記述に惑わされたが、どうやら所有者が北側から南側に移動させたという経緯があるらしい。
どうりで見つからなかったはずだ。これで、壊された5番以外は全て見つかったことになる。
だが・・・。


順番が前後するが、先ほど行在所で私がOさんに礼を言い、その場を後にしようとしたその時だった。
「福崎日精の像は木曽川の反対側にもあるんだよ」
え?上の5体以外にもあるの?
カワズカンノンという福崎日精が作った像があるんだ」

そういうわけで私はその情報をもとに木曽川の対岸に向かった。

(後編につづく)
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