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2016. 02. 02  
全2回の記事の中で、恵那峡周辺のコンクリ像群について紹介した。
恵那峡再訪前編 恵那峡再訪後編

あらためて記しておくが、筆者は『浅野祥雲』の痕跡を探して恵那峡を訪れたはずだった。
ところが、いつの間にか『福崎日精』なる人物を追いかけることになっていた。そして、その人物もまたその全貌がつかめない「謎のコンクリ仏師」なのであった。


さて、実はもう2つ、前回記事に登場する寳林山高徳寺のイケメン住職に教えていただいた情報がある。
一つは、「近くの山中にもう一つ弘法大師の像があるが、藪の中にあり、道無き道を行かねばならない」というもの。
そしてもう一つ、「この地区の方がまとめた本が過去に出版されている」というものだった。

結局、今回の訪問ではもう一つの弘法大師像には辿り着けなかった。
しかし、本については、図書館にて確認することができた。これが大きな収穫だった。
IMG_6080.jpg
『奥渡(おくど)の丘写真集』
装丁もしっかりした本で、この辺り、蛭川村奥戸地区の歴史が網羅されている貴重なもの。
大井ダムの建設の写真や、恵那峡ランド(現恵那峡ワンダーランド)の華やかなりし頃が紹介されている。

そしてその中に、2つの写真を発見する。
IMG_6104.jpg
『蛙薬師開眼祭 昭和9年5月』と題された写真。
当時の寺の住職やこの村の名士の方々だろうか。この写真からは当時、盛大に開眼式が行われた様子がうかがえる。

そしてもう一枚、まだ見ぬ弘法坐像の写真を見つけた。
nissei2.png
おそらくはこの弘法坐像こそ、住職に教えていただいたもの、現在は山中の藪の中に埋もれているというコンクリ像と想像される。
どうやら、当時は恵那峡を橋ではなく船で渡るルートがあり、その船着場のそばに建立されたもののようだ。どうりで現在は道が無いはずだ。


さて、この2枚の写真を見比べると、一つの想像が働いた。
nissei_2.png nissei2_1.png

蛙薬師の右側に立つ人物と弘法坐像の左下に座る人物、このヒゲメガネの2人は同一人物ではないか

そして
「この人物こそ像の制作者たる『謎のコンクリ仏師・福崎日精』ではないか」ということである。

もちろんその証拠はどこにもない。が、この写真が恵那峡周辺の昭和初期のコンクリ像文化の一端を垣間見る上で貴重な資料であることは確かだ。

IMG_6069.jpg
なんにせよ、昭和初期に建てられた繊細なコンクリ像たちが、80年近くも風雨にさらされながら、見事にその姿を残している。制作者の技術と魂が込められた像たちは、人々に忘れ去られたいまもひっそりとその役目を果たしているのだ。


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しかし、いまだに疑問は残る。いや、疑問だらけだ。そして本ブログはその疑問を解決に近づけることこそが真の目的である。

・前回記事の繰り返しになるが、「恵那峡=大井ダムの周囲を囲むこのコンクリ像群」が何を意味するのか。
・この建立は福崎日精の自発的なものか、それとも誰かが発注したものなのか。それは一体何のために?

尾張三大弘法などにも通じる「昭和初期に観音や弘法をコンクリートで作る」という行動。それはどれほど一般的なことだったのか、はたまた特殊なことだったのか。そもそもコンクリートで像を作ることを考え出したのは誰か、「コンクリ像はどこから来たのか」という根源的な問い。
その解決に、少しずつ近づいているような、ますます深みにはまっているような。

次回は『仏師・福崎日精』について、ここまでの全ての情報をもとに考察します。
(つづく)
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