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2016. 03. 18  
さて、ここしばらく福崎日精を追いかけてきた本ブログ。だが福崎編は一旦休憩して、このブログの目下のところ最大の『謎』に戻ろう。

春日井西部のごく一部のコンクリート像にのみ、その名を刻む『雲岳』。

DSCN3405.jpg

『雲岳』とは一体何者か。
雲岳は浅野祥雲の関係者か、全く赤の他人か、それとも浅野祥雲自身か。

今日は「雲岳銘」の最大のコンクリ像、勝川大弘法について、新しい事実がいくつか判明したので書き留めておきたいと思う。

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まず勝川大弘法に関してのおさらい。
地元の商店街の名に冠するほどの厚遇を受けているにもかかわらず、像自体について得られる情報はものすごく薄かった。
「山口悦太郎氏が私財を使って昭和3年に建てた。開眼の時には臨時列車も止まったほどだった」
ほぼ全ての史料やサイトにはこう書いてあるのだ。

そこからは山口氏が何者か、雲岳が何者かは全く判然としなかった。
なぜここまでデカイことを成し遂げた人間たちの記録が何も残っていないのか。不思議でしょうがなかった。

だが。

大弘法の最寄駅のJR勝川駅前、大弘法通り商店街の中に「勝っちゃたこ」というたこ焼き屋がある。
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このお店のご主人、紙芝居を読んでくれる名物おじさんとしても有名らしい。
その店舗の左隣のスペースに、この地域の古い写真を飾ってある場所があった。


そこにあった一枚の写真。
a2.jpg
大弘法の完成の時の写真かな?

この写真は書物にも掲載されていたり、ネットでも見ることができるものだ。
貴重なものには違いないが、すでに知っているものだ。

しかし。

よくよく見返してみると、写真の右上に何か文字が書いてあるではないか・・・

a3.jpg
すごく見にくいが「伝昭和四年四月二十二日」と見えた。

そうか、像には昭和3年とあるが、実は完成は昭和4年だったのか。
完成の時の様子を伝える資料も本もこれまでのところ何も見つかっていなかった。
ましてやその具体的な日付など。

そこで閃いた。
そうか、日付がわかるなら新聞があるじゃないか。

大きな図書館だったらひょっとして当時の新聞があるのではないか?そしてそこに何か手がかりが見つかるかも・
そう思った私は、名古屋市の図書館へ向かった。
そこには当時の新聞の縮刷版があった。そこで昭和4年4月22日近辺の新聞を当たった。


ビンゴ

これまでに全く知られていないであろう記事を発見した。
image1-4.jpg

昭和4年4月22日・新愛知(現中日新聞)
そこにはこう書いてある。

勝川に建立した弘法大師の開眼入佛式
高野山東福寺両管長が臨席し
きのふ盛んに執行
愛知縣東春日井郡勝川町の山口悦太郎さんが、同町勝満山に日本一の大きい弘法大師の立像を建立したことは既報の通りであるが、この弘法像の開眼入佛式が、廿一日午後二時から勝満山で盛大に挙行された。
寒かった關係で出足がにぶったがそれでも近郷近在から續々と押しかけその數二萬と號せられ名古屋鐡道局は特に臨時列車を増發すると云ふ騒ぎであった。この日高野山總本山から管長法印大圓師、東福寺管長尾關本孝師をはじめ、来賓として愛知縣から青木道路、織田保安の両課長、堀尾縣農會長、長谷川本社調査部長、勝川町より淺井町長、井上驛長、野々山署長以下多数出席、式は可愛らしい三百人の稚児のの行列にはじまり、高野山管長の入佛讀経、東福寺管長の開眼讀経ありて後、堀尾縣農會長、淺井町長の祝辞あり。これに對し施主山口氏は一場の挨拶をなし、それより東福寺側は臺座の中に安置した千體の大師に、高野山側は側座にしつらへた不動明王、辨財天にそれぞれ讀経して四時半閉式した。餘興として棒の手、花火、餅投、(?)などがあつて非常に雑踏をきはめた



さて、ここから新たにわかることがいくつかある。
高野山、東福寺から管長を呼ぶほど盛大なものだったということ。
・臨時列車が増発されたというのは本当だった。
・開眼式の時点で不動明王と弁財天が存在した。
・台座の中にある千体の弘法大師もこの時点で存在した。
・やはりこの場所が勝満山であった。

残念ながらこの記事には雲岳の名前はなかった。
ただ、この大弘法は当時日本一の大きさで、町を挙げての超盛大な開眼式だったということが伝わって来る。
三百人の稚児、というのはほとんど当時の町全体から集めないと集まらない人数ではないのか。

この大弘法、やはり、ただの珍スポットではなかった。

記事中に出てくる不動明王は
DSCN1108.jpg

そして辨財天とは

DSCN3380.jpg
この白衣観音のことだろうか?
この像が記事にある「辨財天」だとすると、昭和4年4月の時点からここにあることになる。これも新しい事実だ。


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果たしてこの中に、山口悦太郎、そして雲岳は存在するのだろうか。

じわじわだが、少しづつ真実に近づいている、ような気がする。

(つづく)
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まるは食堂の大黒天は大きい。まるで大海老フライのように。
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