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2018. 04. 08  
さて、青島の観音騒動のあと、私は3度目の恵那峡調査に向かった。

恵那峡へは過去、二度の調査に訪れている。

1度目は、浅野祥雲の作風に似た「弁財天像」を発見し、文献に当たったところ、「福崎日精」なるコンクリート仏師の存在を知った時(2015年1月)。
浅野祥雲の謎を追え 恵那峡弁財天編 3/5
http://shounkonkurikobo.blog.fc2.com/blog-entry-12.html


2度目は、恵那峡周辺に「福崎日精」によるコンクリート物が大量に存在することが明らかになった時(2016年1月)
恵那峡再訪1
http://shounkonkurikobo.blog.fc2.com/blog-entry-33.html


3度目の調査となる今回、恵那峡訪問の目的は2つあった。
これまでに、自分の目で確認していないコンクリート像が、恵那峡周辺に少なくとも3体は存在することがわかっているのだ。
1体は、旧蛭川村の郷土史を収めた「奥渡(おくど)の丘写真集」に掲載された弘法坐像①。
これは、福崎日精と思しき人物とともに撮影された写真が残っている貴重な一体である。
IMG_6129.jpg
弘法坐像①と福崎日精氏(左下)ら『奥渡の丘写真集』より


そしてもう1体は、岐阜県立図書館で発見した恵那のことを調べた資料に掲載されていた観音像と弘法坐像②だ。

C0XPNq8UAAAGaTY.jpg
まだ見ぬ観音像(一番右)&弘法坐像②(一番左)

前者はおおよその場所が判明しているが、後者は全く手がかりのないものだった。
とにかく、何か手がかりがないものかと、小雨の降る恵那峡に向かった。

IMG_2986.jpg
雨の大井ダム。水量がハンパない。


まず、蛙薬師如来像のある旧蛭川村高徳寺、この横の山頂にある弘法坐像①を目指した。

この弘法坐像①、実はすでにTwitter上で、d6さん、よしひろさんのお二人が山頂へのアタックに成功している。
https://twitter.com/clane_2015/status/954725219205136384
このTwitter情報をもとに、入り口を探す。が。

IMG_2991.jpg


IMG_2992.jpg
この辺が入り口らしいが・・・

マムシでも出そうな深い藪の前に、すぐに戦意を喪失。
潔く諦め、遠くから像のある方角を望むことにした。

IMG_3002.jpg IMG_6129.jpg
さっきの入り口と反対側から山頂方面を望む。山頂に見えるのが弘法坐像①の上に立っている二十三夜塔。

写真ではすぐ近くに見えるかもしれないが、実際は結構な距離と急斜面、そして深い藪である。
あそこに弘法坐像①があるらしい。


というわけで、弘法坐像①の探索は諦め、もう一対の像に標準を合わせることにした。

ここで、細かい経緯を書くことは差し控えるが、周辺への聞き取り調査の結果、なんと、前述の「奥渡の丘写真集」の編集に携わった人物(仮にAさんと呼ばせていただく)に引き合わせていただくことができた。

郷土史研究家と呼んで差し支えないだろうAさんは、福崎日精についてそれほど詳しくはなかったものの、熱心に郷土史を残そうと努力されており、大井ダムやその周辺の近現代史について、非常に興味深いお話の数々を聞かせていただくことができた。

その中で、過去にAさんが調査した報告の中に、恵那峡周辺の仏像の場所をまとめたものがあることがわかり、詳しく拝見すると、今回の調査対象である「観音像&弘法坐像②」の場所をはっきりと記した資料があった。

ついに未知のコンクリート像の場所が判明した!


そして、Aさんのお話の中で福崎日精氏に関して興味深いお話を聞くことができた。
なんでもAさんのところに以前、福崎日精氏の親類と名乗る女性が訪ねてきたというお話だった。
実はこのエピソード、前に大井宿を訪ねた際に、記事中に登場するO氏から全く同じ話をきいていたのだが、同一人物なのだろうか。

さらに、Aさんの口から重要な言葉が飛び出す。
Aさんはその女性から「福崎日精作品と思われる像のメモ」をもらいうけたのだそうだ。

実際に見せてもらったそのメモには48種類の像などの名前と場所(寺社の名前)のみがワープロ書きで記されていた。
そこには、大淵寺護国観音や新潟の大弘法大師、琵琶湖阿弥陀如来像(初代びわこ大仏)などの知られた福崎作品のほか、これまでに見たことのない像も記されていた。
ただし、青島護国観音や恵那峡周辺の像などの福崎氏の可能性が高い像の記載がないことから、完全なものではないと推測された。また、年代は記されていないことから、福崎氏の足取りを追うためにはやはり情報が不足しているものであるようにも思えた。
ともあれ、福崎日精の生涯を研究するためには超一級の資料であることには間違いない。私はA氏の許可を得て、そのメモをコピーさせていただいた。

私は不躾な訪問者を快く受け入れていただいたAさんにお礼を言い、まずは観音像&弘法坐像②の記された場所に向かった。

<つづく>
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