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2018. 09. 22  
さて、これまでに書いたものと重複する部分もあるのだが、一旦、今までの情報を整理して、『雲岳』の謎を整理しておきたい。

銘がある像を順に紹介したい(像の名称をクリックするとGoogle Mapで像の場所を表示します)。
① 勝川大弘法大師像(昭和3年 愛知県春日井市崇彦寺 ※崇彦寺は当時「勝満山大師殿」と称した)
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② 勝川不動明王像+二童子(昭和3年 愛知県春日井市崇彦寺)
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③ 普寛霊神像(昭和3年12月 愛知県日進市岩崎御嶽山)
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④ 小野道風像(昭和4年4月 愛知県春日井市観音寺)
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⑤ 弁財天像(昭和4年 愛知県春日井市観音寺)
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⑥ 覚明霊神像(※浅野雲岳銘)(昭和4年12月 愛知県日進市岩崎御嶽山)
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『雲岳』の銘が残されているのはこの6体に限られる。
『雲岳』が活動した時期は前2回の記事で示した通り、昭和3〜4年のたった2年間だ。



ではそのほかに銘が無い像はどうか。
過去にこのブログで紹介した像がいくつかあるので紹介したい。

⑦ 弁財天像(愛知県春日井市勝満山大師殿)』
thumbnail_IMG_9511.jpg
昭和4年の勝川大弘法大師の開眼の時に、不動明王像とともに弘法大師の傍に配置されていたとされる現存しない弁財天像。
この弁財天像は①②と同時に開眼式を行ったこと、また⑤の観音寺弁財天と造形を同じくすることを考えると、雲岳の作品である可能性が高い。


⑧ 地蔵尊像(愛知県春日井市地蔵寺)
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背面に『山口悦太郎』の文字が刻まれた地蔵尊像。昭和5年2月建立とあるが、寄進者が①②④⑤と同一であること、コンクリートに毛筆で銘を彫る手法、③、⑥の像とも造形が似ていることから、雲岳作である可能性が高い。

⑨ 恵那峡弁財天(岐阜県恵那市 建立年不詳)
そしてこのブログ最大の謎として何度も紹介している恵那峡の弁財天である。

IMG_1298.jpg

弁財天の衣装、龍が巻きつく構図など、⑤と⑦に共通する。特に⑦の弁財天像とは移設ではないかと疑うほど酷似している。


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さて、これらの像を作った『雲岳』とは何者か。

雲岳の⑤観音寺弁財天について、寄進者が山口悦太郎でありながら、実は瀬戸電気鉄道株式会社が企画に関わっていることは既に過去の記事で報告した通りだ。


同様に、瀬戸電気鉄道株式会社が旅客の利用者を増やすために企画し、建立された像がいくつかある。
そのうちの一つ、

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愛知県尾張旭市退養寺にある大弘法大師像。

この像はある人物が製作した。

IMG_1921.jpg
その人物の名は、『浅野祥雲』
昭和6年に完成した退養寺の大弘法大師像は、コンクリート像を1000体以上製作した浅野祥雲のキャリアの中で、現存する最も古い像なのである。

『コンクリート魂 浅野祥雲大全(大竹敏之著)』によれば、浅野祥雲の出身地は岐阜県恵那郡坂本村(現在の岐阜県中津川市美乃坂本駅の辺り)。
この周辺には浅野祥雲の作品が現在も多く残されている。

⑨の恵那峡弁財天とは同じ旧恵那郡であり、当時は国鉄中央本線と大井駅から北恵那鉄道大井線で結ばれており、この場所に祥雲の像があってもなんら不思議はない。

もう一つ、愛知県春日井市勝川大弘法大師のある崇彦寺、ここにある大黒天のお面が、浅野祥雲が名古屋に移住するころに、生活の糧として製作したと伝えられるものに酷似していることは既に過去の記事で伝えた。

つまり、『雲岳』と『浅野祥雲』には複数の共通点があり、なおかつ昭和3年から5年にかけての作品しか見つかっていない『雲岳』と、昭和6年以降の作品しか見つかっていない祥雲は活動期間がかぶっていないのだ。

これはどういうことか。

私の仮説であるが、この時期に浅野祥雲(本名・浅野高次郎)は、雲岳から祥雲に雅号を変更したのではないか。
祥雲のこの時期に何があったか。前述の「コンクリート魂」に収録されている「浅野祥雲年譜」によれば、祥雲は明治24年生まれ、昭和6年に不惑の40歳を迎えている。つまり40歳を迎えると同時に、または何かしらのキッカケがあり、高次郎は雲岳の名を捨て、祥雲を名乗るようになったのではないだろうか・・・。


*****************
ここに書いたことはまだまだ仮説の域を出ない。
今後この内容を補強する資料などを発見し、祥雲=雲岳説を立証することが、このブログ最大のミッションなのである。

状況証拠的には随分固まってきたのだが、まだまだ決定力にかける結果となっている。引き続き調査を続けたいと思う。

ご意見、ご感想、情報をお待ちしています。
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