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2018. 09. 23  
さて、2018年9月15日〜18日にかけて、謎のコンクリート仏師・福崎日精の痕跡を追いかけて、現地調査を行ってきた。

その調査の中で、訪問先の方から、なぜこの調査を行っているのかを問われることが多かった。
そこで、今回は、ブログ読者の皆さん、そして何より自分自身がなんのためにやっているのかを問題意識をはっきりさせるために、このブログ「コンクリート像を見に行きます(仮)」が目指すものを整理して、まとめる記事を残しておきたい。

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このブログの当初から目指しているものは、
① 浅野祥雲の全作品コンプリート である。

しかし、浅野祥雲の活動初期のルーツを調べるうちにもう一人のコンクリート像製作家の名前が登場することとなった。
それが、「雲岳」である。雲岳は浅野祥雲なのではないかという疑念が生じてきた。そこで、
② 雲岳=浅野祥雲説の立証
を目指すことにした。

さらに、雲岳のルーツを辿るために研究を進めるうちに、もう一人のコンクリート仏師の存在がチラつくようになってきた。それが「福崎日精」である。

現在のところ、浅野祥雲と福崎日精の間に直接的な交流があった証拠はどこにも存在しない


しかし、当ブログでは過去の記事で次のことを指摘してきた。

❶ 雲岳の作品が密集する愛知県春日井市崇彦寺に「福崎日精の特徴を備えたコンクリート製観音像」があること。

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白衣観音像(愛知県春日井市勝満山崇彦寺 作者・建立年不詳)

❷ 雲岳作品に作品を多く発注した山口悦太郎氏が「福崎日精」にも像を発注していること

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二宮金次郎像(鍬をつく青年像)(愛知県春日井市勝川小学校 福崎日精作 昭和22年)

❸ 福崎日精の作品の特徴を備えたコンクリート製阿弥陀如来像に「満勝山大師殿」の銘があること

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喜婦嶽阿弥陀如来像(愛知県長久手市 作者不詳 昭和7年)

❹ 雲岳の特徴を備えた弁財天像の周辺に福崎日精の作品が密集していること

以上の点から、浅野祥雲(雲岳)の作品と、福崎日精の作品は全くの無関係であるとはとても思えないのだ。
特に、浅野祥雲と福崎日精の活動初期と思われる昭和3〜7年頃の活動が、この謎を解明するカギになると私は睨んでいる。


謎のコンクリート仏師・福崎日精の足取りを辿るうち、このブログでは幾つかのターニングポイントを迎えることとなった。

❶ 2016年9月に訪れた琵琶湖畔のお寺、平安山良畴寺(滋賀県長浜市)にかつて存在した27mの巨大コンクリート製大仏『護国阿弥陀如来像』(昭和12年)の作者が福崎日精氏だと判明したこと(戦前コンクリート大仏の謎を追え 滋賀長浜びわこ大仏編 前編)。
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護国阿弥陀如来像(滋賀県長浜市 平安山良畴寺 福崎日精作 昭和12年)

❷ そしてその時に良畴寺で発見した一枚の白衣観音像の集合写真が、2017年12月、長崎県松浦市の離島、青島で撮影されたものであることが判明し、大きな話題となったこと(謎の大観音協奏曲、そして新たな挑戦(1)
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❸ そして、3度目の恵那峡訪問で手に入れた福崎日精作品の一部と思われるリストを入手したこと(謎の大観音協奏曲、そして新たな挑戦(2)恵那峡再々訪問編

リスト
48種類の像などの情報が記載されたメモ(復元)

これらの出来事を通じて、私は福崎氏の足取りを追いかけることを止めることができなくなってしまった。
そして、これがこのブログ最大のテーマになった。

③ 仏師・福崎日精の生涯を解明すること


福崎日精の足取りを解明する手がかりをつかむため、私は九州に飛んだ。


つづく
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