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2018. 11. 23  
さて、青島での調査を終え、日程は2日目を迎えた。
次に目指すのは、福崎日精作の仁王像があるという「寶洞山桂雲寺」。
この仁王像のことは、先に手に入れた福崎メモにも記載されていたが、調べてみると、平成6年に発行された有田町歴史民俗資料館の広報誌にその名前を見つけることができた。

http://www.town.arita.lg.jp/site_files/file/2014/site/rekishi/download/sarayama/sarayama-0025.pdf

さらに、この記事には福崎日精に「ふくざきにっしょう」というルビが振られていた。



実はここまで、その生涯を追いかけていながら、読みがなを書いた文書は見つかっていなかった。その信憑性はまだ確認を要するかもしれないが、大きな手がかりにはなるだろうと思われた。

福崎日精は「ふくざきにっしょう」と読む。

そして、この桂雲寺の仁王像は昭和11年完成とあった。

有田町といえば、言わずと知れた有田焼の産地である。桂雲寺に近づくにつれて、その街並みはとても趣深いものになってきた。想像していた以上に、桂雲寺は有田の街の真ん中に位置しているようだ。







それもそのはず、桂雲寺の境内は、明治29年に初めて陶磁器の品評会が開かれた場所なのだそうだ。
そのような由緒あるお寺さんに、なぜコンクリート製の仁王像が?というのも大きな謎である。
さて、桂雲寺に到着。



参道を登っていくと、すぐにお目当ての仁王像が姿を現した。







特徴的な朱塗りの山門の前には、これまた個性的な顔立ちをしたコンクリート製の阿形と吽形である。





その土台に目を凝らしてみると、「昭和拾壱年」とかすかに読み取ることができた。





それにしても個性的顔立ちである。
これまでに判明している福崎作品と比べても、瞳や鼻の穴が大きく、大胆に仁王像の迫力を見事に表現しているように思えた。
今回ご住職にお話を伺うことは叶わなかったが、事前に電話で聞き取りを行うことができた。それによると、寺は代替わりしていることと、過去に本堂が二度焼失しており、昭和初期の資料が全く残っていないということだった。
ただ、以前福崎氏の親族の方々が仁王像を見るために訪問したことがあるらしいこともわかった。

仁王像は過去に修復した時に樹脂吹き付けをしたらしく、建立当時の雰囲気を残したまま保存されているということだった。
建立の経緯はわからなかったが、昭和11年という活動初期の見事な像であった。



このあたりの衣や指先の細部の表現も見事に残されている。
さて、長崎の青島で手に入れたこの写真。



周辺の雰囲気は若干異なるが、この山門と仁王像、どう見てもこの有田町桂雲寺そのものである。



そして、こちらが若かりし頃の仏師・福崎日精である。
なぜこの写真が青島のSさん宅にあったのかは分かっていないが、これまでの経緯からすると、與三郎さんお浦さん夫妻に宛てた文通での報告だったのかもしれない。
この写真にはもう一人、気になる人物が写っている。



この僧侶、あの青島子安観音の企画者、志佐鳳洲ではないだろうか。
もしそうだとすれば、昭和9年に群馬県の住職になっているはずの志佐鳳洲氏が、昭和11年の佐賀県に姿を現していることになる。
氏がここでもコンクリート像の建立に関係しているとすれば、戦前のコンクリート像の建立を各地で企画したのは志佐氏、実際に製作にあたったのが福崎氏、という関係にあるのかもしれない。このあたりは今後、全ての資料から足取りを検証する必要性を感じている。
いずれにせよ、世界的な焼き物の町で、コンクリート製仁王像は今日も人々を見守っている。





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