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2019. 03. 24  
《前回からの続き》

さて、また随分と間が空いてしまったが、この旅の最終目的地である、長崎県島原市江東寺へ。

福岡県柳川市からの道順は、フォロワーさんに教えていただいたルートである有明海フェリーで向かう。

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彼方に霞むは島原半島

さて、45分そこそこで対岸の多比良港に到着。
ここからは車で目的地、江東寺へ向かう。
あの雲仙・普賢岳を右手に眺めつつ海岸道路を行くと、島原市内に到着。
地図によれば、江東寺はかなり街中に位置しているように見えた。

コインパーキングに車を止め、街中を歩くと、すぐに「ねはん像」の看板が見えた。
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この道を、迷わず行けよ、行けばわかるさ

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100m先には涅槃像が・・・

看板に誘われ歩を進めると、気づくとなぜか商店街にいざなわれた。

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まるで洋品店か和菓子店でも紹介するかのように、その看板は現れた。

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江東寺、営業中

島原市中心部の商店街のど真ん中にそのお寺の入り口はあった。
この江東寺、島原の中でも特に由緒あるお寺さんである。
永緑1年(1558年)開山、江戸時代には島原城主松倉氏の菩提寺として島原藩の重要な枠割を担ったのだという。

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見事な山門

さて、山門をくぐると、右手に目当ての大地蔵菩薩像が見えた。

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もともとシルバーに彩られていたのであろう、塗装がやや剥がれている箇所もあり、劣化が見られる。
それでも、かなり大きな、見事な地蔵菩薩像であった。

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鋭い眼光と福々しいお顔はまさに福崎作品のそれ

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細かな造形も福崎作品のそれである


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台座に彫られた、意味ありげな「和」の文字


ひとしきり地蔵菩薩像を堪能した後、この旅で私が最も見たかった像のひとつ、「大涅槃像」へ向かう。

本堂前を横切り、墓地の方へ。

ついに対面。

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ダークブラウンでまとめられたシックな涅槃像さま。

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お顔も見事。

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仏足石の紋様も美しい。

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後頭部の細かな造形。

それにしても素晴らしい出来栄えの像である。
しかし、こちらの大涅槃像にも、地蔵菩薩像同様、劣化がみられるのが少々気にかかった。ほかの場所で聞いたように、これだけの巨大な像は補修が難しい事情があるのかもしれない。

そんなことを思いながら熱心に大涅槃像の写真を撮影していると、掃き掃除をされていた若いお坊さんに「つるまさんですよね?」と声をかけられた。
なんと、私のツイートで動向を把握していただいていたのだという。

早速本堂にご案内いただき、ご住職にお話を伺うことができた。

こちらの江東寺さん、実は事前に電話でもお話を聞いており、ここからの情報は事前電話と、当日のものを合わせたものとなっている。

涅槃像と地蔵菩薩の建立経緯について、概要はこうだ。
「建立したのは2代前の住職であり、建立の経緯はわからない。ただ、これに少し載っていると思います。よろしければ差し上げます」

そう言って、差し出された書籍『江東寺史』にはこうあった。

涅槃像(説法涅槃大佛像)
涅槃とは、煩悩の火を焼きつくして智慧が完成したさとりの境地を指す言葉であるが、釈尊の入滅を指す言葉としても用いられる。
この像は、釈尊が悟りを開かれてより四十五年間の説法の旅を終えられ故郷に近いクシナーラの沙羅双樹の下で入滅(涅槃)に至るまで説法を続けられた最後の尊いみ姿である。
當山二十八世太成禅光和尚、松倉、板倉両公追善のため発願して建立さる。
造像奈良信貴山佛子道場主 福崎日聖師文字通り精進潔斉、全く独力による造像である。
昭和三十二年十二月完成、全長八米余、高さ二米、鉄筋コンクリート造り涅槃像としては、日本最大のもので、足裏に佛足石の紋様が刻まれているのも最初である。
頭部に信者による写経壱万部を納め、台座は歴代住職の納骨堂となっている。(原文ママ)


福崎日聖師となっているの日精氏の誤字であると思われる(像の横の看板には同文が掲載されており、日精となっていた)。
「奈良信貴山佛子道場主」とあるので、昭和32年の当時は福崎氏は信貴山にいたことになる。
そして、この8mあまりの涅槃像を独力で製作した。
「頭部に信者による写経壱万部を納め」とあるのは、青島に残されていた福崎日精氏のハガキの内容と一致することになる(観音様の見護る島④ 〜福崎日精氏からの手紙〜参照)。

そしてご住職はこう言った。
建立当時の住職の娘さんが一番詳しいと思います。その方は現在平戸にいらっしゃいます。」
なんと、この像について詳しい方がいらっしゃる、それは、建立時の住職の娘さんであるという。


実は、この旅前日、松浦市青島から有田町桂雲寺への途中、私は長崎県平戸市に立ち寄っていた。
それは、ここ江東寺さんの大涅槃像を建立した住職の娘さんであるYさんのもとを訪問するためであった。

《つづく》


次回予告
長崎県島原市江東寺 大涅槃像&大地蔵編 後編 
島原市江東寺の大涅槃像と大地蔵菩薩像建立の秘密。

乞うご期待!!
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