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2019. 09. 15  
愛知県春日井市・崇彦寺に、高さ18メートルとも言われる『勝川大弘法大師像』がある。
この像の台座の銘板には『御大典紀念 建立 山口悦太郎 昭和三年 雲岳作』と刻まれている。

このブログの当初からの目的の一つには、これらの像の作者である『雲岳』が『浅野祥雲』であるという仮説を立証することあった。
というのもこれまで、どれだけ調べても、この像は、「昭和3年に、山口悦太郎という篤志家が、私財をはたいてこの像を建立した」という情報しか得ることができなかったのだ。インターネットでも、地元の図書館でも、だ。

果たして『山口悦太郎』とは何者なのか、そしてこの像を製作した『雲岳』とは。


2019年3月。
私は再び、雲岳作『勝川大弘法大師像』のある愛知県春日井市を訪れた。

そこで私は、弘法大師像の建立者である山口悦太郎氏の息子であるKさんの所在を当たることができたのだ。
Kさんは、突然の訪問者を快く迎え入れてくれた。

私は玄関先でK氏にこう尋ねた。
「雲岳、浅野祥雲、福崎日精というコンクリート像を作った人たちの研究をしています。何か資料や写真などは残っていませんか?」

K氏の答えは予想もしていないものだった。
「ああ、福崎日精さんの観音さまなら床の間にあるよ」

はあ!?何を言っているんだ?
私は訳がわからなかった。

「上がって見てってもええよ」


K氏は私を家の中へ招き入れ、床の間にあるというコンクリート像を見せてくれた。

fukuzaki_etsutarou_2.jpg
まぎれもなく、福崎日精作、コンクリート像!!

私は、謎のコンクリート仏師『雲岳』の謎を追いかけて、ここまで来たのだ。
それが、なぜ福崎日精に繋がるのか・・・。

「この辺に転がっとる木彫りのも、先生が作ったもんだで」

K氏はそういうと、木彫りの像を無造作に床に置いた。

maria_1.jpg
福崎日精作、木彫りのマリア像?

maria_2.jpg
銘はどこにもない

「写真もどっかにしまったると思ったけど、ちょっと取ってくるわ。」
K氏はそう言うと、家のどこかへ行ってしまった。

残された私は、目の前にある木彫りの像を呆然と見つめるしかなかった。

戻ってきたK氏は、見るからに古いアルバムを二冊、手にしていた。

「これ親父のアルバムだでよ」
そう言って、私にアルバムを渡してくれた。

私はページをめくると、すぐに直感した。


あ、これやばいやつだ。


albam.jpg
既視感のあるコンクリート像たち


初めて見る写真なのに、絶対にどこかで見たことがある写真。
福崎日精氏と、その作品を収めた写真の数々だった。

中には、これまでに見たことのある写真も含まれていた。

albam_2.jpg
左上の写真!!見たことある!!

biwako_1.jpg
全てはここからはじまった、長浜市・良畴寺の初代びわこ大仏!!

福崎氏を追いかけ続ける私の目には、これらの写真は福崎氏のものであることは明らかだった。
だがK氏は、このアルバムの写真が悦太郎氏のものであるということ以外、いつ、どこで撮られたものか全くわからないということだった。
それもそのはず、K氏が生まれたのは昭和19年。
これらの写真はK氏が生まれるよりも前に撮られたものだったのだ。

しかし。
私には、ここに収められた多くの写真の場所を理解することができた。

それは、5年間にも渡って日本各地の福崎日精作品を追いかけてきたからこそわかるように思えた。

つまり、このアルバムは、福崎日精氏の建立当時と思われる写真の数々が、無造作に収められた写真集だったのだ。

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初代びわこ大仏の開眼前の写真!!


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佐賀県有田町・桂雲寺の仁王像!!

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埼玉県秩父市・大渕寺護国観音像


いずれも、場所はわかるが、これまでに見たことのない写真であった。

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前回記事の「菊間大仏」も、実はこのアルバムに収められたものだった


そして、幾つかの写真には、悦太郎氏本人が書いた文字で写真にキャプションが添えられていた。

enakyou_kannon.jpg
「岐阜県恵那峡安置 作者福崎氏 観世音」

これは、2015年1月に記事にした、岐阜県恵那市の観音像ではないか!!
恵那峡さざなみ公園周辺コンクリ像についての考察
つまり、恵那峡周辺の福崎日精作コンクリート像には、山口悦太郎氏が関わっている?
これも、これまでの調査ではどこにも出てこなかった新たな事実である。

このアルバム、新たな発見が多すぎて、情報が渋滞してしまった。まさにパニックである。

いずれにせよ、なぜこのアルバムの写真たち、つまり戦前の日本各地の福崎日精作品を、山口悦太郎氏が持っているのか。
私はK氏に尋ねた。
するとK氏はこう答えた。
「知っとるも何も、福崎先生とは家族ぐるみの付き合いで、50年ぐらい前に弘法さま(勝川大弘法大師)の修復をしたのは先生だで。いま弘法さまが持っとりゃーす数珠の玉は、先生がうちで作ったやつだで。俺その現場も見とる。」

なんだってーーーー?!

kobo.jpg
弘法大師左手の数珠は、福崎日精作????


雲岳の謎からはじまった、コンクリート仏師を追いかける旅、ここに来て過去最大のターニングポイントを迎えようとしていた。


《つづく》
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